タクシン・チナワット
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翌7月4日放送のNHKのニュース番組「ワールドWave」の中でアラブ首長国連邦ドバイでインタビューを受けている様子が放送され、総選挙を控えたタイへの思いを語っている。

2011年8月15日、日本枝野幸男官房長官は、記者会見でタクシンに対して入国査証(ビザ)を発給したことを明らかにした。日本の出入国管理法では、前科のある人間の入国を認めておらず、タクシンもその対象とされていたが、菅直人内閣のもとで特例措置として入国が認められた。この訪日に関連しては反タクシン派市民団体バンコク在タイ日本国大使館へ抗議活動を行った。8月22日に予定通り日本に入国し、滞在中の8月23日、東京都内のホテルで会見を行った。その中で、妹インラックの政権運営には関与しない方針を明らかにしている。また、有罪判決を受けた先の裁判に関しては政治的な目的があったと主張したほか、自らの帰国問題に関してはタイ王国国民の対立の火種になることを懸念し、帰国する考えがないことを明らかにしている。同月28日まで日本に滞在し、東日本大震災からの復興支援のため、東北地方の被災地訪問や村井嘉浩宮城県知事との対談などを行った。なお、この日本訪問に際してモンテネグロパスポートを使用したことをNHKのインタビューで明かしている。また来日に際しては石井一元自治大臣が身元保証人となった[3]

2011年9月16日にはカンボジアに入国し、旧知の仲であるフン・セン首相と親交を深めた。同月には首相在任中だった妹インラックやタイ貢献党の下院議員、反独裁民主戦線(UDD)のメンバーも相次いでカンボジアを訪れている。両国間ではカンボジアの世界遺産に登録されたプレアヴィヒア寺院をめぐって、タイとカンボジアの国境紛争が続いていたが、これらの動きによって紛争が解決する可能性が出てきた。

2011年9月21日、国際連合総会出席のためニューヨークに滞在中のユラポン外務大臣は一般旅券を再発給する考えを明らかにした。2011年10月26日、タイ外務省はアラブ首長国連邦のアブダビで一般旅券を再発給した。

2014年タイ軍事クーデターについては、Twitterで「悲しい」と投稿している。なお、クーデター当日でもある2014年5月22日から数日間、タクシンが私的に日本東京都を訪れていることが報じられた[4]。クーデター中でも、タクシン元首相を支持する派閥がデモを繰り広げている[5]。特にタクシンが首相在任中に貧困対策に取り組んだことで、強固なタクシン支持者がいるウドーンターニー県を始めとするイーサーン地域では、軍に対して武器使用も辞さないとする強硬派もいる[6]

2017年8月には妹のインラックが首相時代のコメ買い上げ制度をめぐる裁判の判決公判を前にタイを出国しドバイに逃亡、タクシンと合流を図ったとも報じられた[7]

2018年2月、3月下旬には妹のインラックとともに来日。二人は国際手配中の身であったが、モンテネグロの日本大使館が国際手配中のインラックとは気づかずにトランジットビザを発給してしまい、二人はプライベートジェットで日本に入国した。これは違法行為であるが日本政府は二人の入国を全く把握できず、警察当局は報道で二人が日本に入国したことを知ったという。3月29日には東京都内で開かれた石井一の著作出版記念パーティーに二人で出席し[3]、銀座での買い物を楽しんだあと4月1日に離日し、北京へ向かった[8]

2022年7月24日、ドバイで活動中のNHK党の参議院議員(当時)のガーシーこと東谷義和と会談。同年同月8日に遊説中だった自民党の安倍晋三が銃殺された事件について、「本当に残念だ」と安倍元総理の死を悼んだ。
帰国後

2023年8月22日、タイ貢献党所属の新首相指名が濃厚であった国会での指名投票を前に首都バンコクに帰国。拘置所に収容された[9]。しかし胸の圧迫感などを訴えたため、23日に拘置所から警察病院に移送された[10]。31日には国王に恩赦を申請した事が明らかにされた[11]。9月1日、国王から恩赦を受け、禁錮8年から1年に減刑されたことが発表された。発表では健康問題などが理由として挙げられている[12]。2024年2月18日に警察病院より仮釈放された[13]
政策

タクシンの政策は以下のように極めて特徴的で、自分の出身地タイ北部重視の政治を見せる一方で、経済政策は大胆である。

性風俗店の取り締まりや、ナイト・スポットの深夜営業禁止政策

麻薬取り締まり強化

健康保険制度の整備や30バーツ医療

一村一製品運動

公的資金を大量に投入する経済政策タクシノミックス(Thaksinomics)

地方における建設やインフラストラクチャー(携帯電話などの情報通信を含む)を中心とした公共事業


アメリカに対しては友好的な態度をとるが、アメリカの内政干渉的な言動に対しては断固抗議

全アジアの統合を目的とした唯一の政府間組織アジア協力対話」の設立[14]

「タイ航空機炎上事件」

詳細はen:Thai Airways International Flight 114を参照。

2001年3月3日[15]に、タイ王国バンコクドンムアン空港に駐機していたタイ国際航空のボーイング737-400型機が出発前に突如炎上し、出発の準備をしていた客室乗務員ら8人が死傷した。当初は機材の故障による事故と考えられていたが、タクシン首相が搭乗予定であったこともありテロの可能性も疑われていた。しかし、最終的には原因は特定されていない。
脚注[脚注の使い方]^タイ軍政、タクシン元首相の「警察中佐」称号はく奪 - newsclip.be(2015年9月7日)
^ 井上航介、村松洋兵「タクシン元首相「タイ、全面的な民政移管を」 5月総選挙巡り 軍政下で「国の成長停滞」」『日本経済新聞』2023年3月25日朝刊、国際面。
^ a b “国外逃亡中のタクシン元首相・インラック前首相が来日”. 朝日新聞. (2018年3月29日). https://www.asahi.com/articles/ASL3Y62CQL3YUHBI028.html 2019年2月9日閲覧。 
^“タイ:タクシン元首相、日本に滞在中”. 毎日新聞. (2014年5月30日). ⇒http://mainichi.jp/select/news/20140530k0000e030238000c.html 2014年6月1日閲覧。 
^ 岩田智雄 (2014年5月25日). “【タイ軍クーデター】「民主主義死んだ」…赤シャツを黒に着替え抵抗も、衰退拭えず”. 産経新聞. https://web.archive.org/web/20140526031258/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140525/asi14052520440003-n1.htm 2014年6月1日閲覧。 
^ 岩佐淳士 (2014年6月1日). ⇒“タイ:タクシン強硬派 地盤の東北部で憎しみ募らせ潜伏”. 毎日新聞. ⇒http://mainichi.jp/select/news/20140601k0000e030156000c.html 2014年6月1日閲覧。 
^ “インラック前タイ首相、ドバイに逃亡 党幹部”. CNN.com (CNN). (2017年8月25日). https://www.cnn.co.jp/world/35106341.html 2017年8月27日閲覧。 


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