タキーヤは勇気という一般的徳目に反し、殉教精神とも矛盾するが、これに対しては、打ち克ちうる可能性のない脅威にあえて立ち向かうのはたんなる蛮勇であるという説明がなされる。したがって、対抗できる可能性がないことが確実で、かつ生命に関わるような大きな脅威に際して、タキーヤは義務行為でさえありうる[2]。例えば『イランのシーア派イスラーム学教科書』において、タキーヤは、「闘争から手を引くことの意味ではなく、これを活用することで、より多くの打撃を[敵に]与え、より少なく打撃を受けるという意味である」と説明されている[5]。
また、ダール・アル=イスラームのうち、十二イマーム派の支配下にない地域でのタキーヤを義務とし、そのような地域をダール・アッ=タキーヤと表現することもある。イマームたちによるタキーヤの実践は、相矛盾する内容の伝承が存在する際に、その矛盾の理由を、一方がタキーヤによるものであるから、と説明することを可能とするが、そのような伝承を法源としていかに取捨選択するかは、アフバール学派とウスール学派の論争点の一つであった[2]。
脚注[脚注の使い方]^ 広義には「警戒」や「用心」、狭義には「面従腹背」や「韜光養晦」を意味する。
^ a b c 森本一夫 (2002). “タキーヤ”. 岩波イスラーム辞典: 600.
^ “ ⇒Q3-28”. 2018年10月5日閲覧。
^ “ ⇒Q16:106”. 2018年10月5日閲覧。
^ 富田健次. イランのシーア派イスラーム学教科書. 明石書店
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