日本の皇室とタイの歴代王朝(アユタヤ王朝、トンブリー王朝、チャクリー王朝)はおよそ600年前から親密な関係を持っており(当時の日本は室町時代)[58]、この皇室と王室の親密な関係が両国の緊密な関係の基礎になっている[59]。また、秋篠宮文仁親王のほか、両国の皇室、王室メンバーの公的または私的訪問が頻繁に行われている。 21世紀に入っても不敬罪が存在する数少ない君主国であり、最近も国王を批判・侮辱する画像・動画が掲載されたことを理由にYouTubeへの閲覧アクセスが長期にわたり遮断されるなどの事例もある[60][61]。 「不敬」とみなされた行為は国民・在留外国人問わず処罰対象になりうる。最高刑は1件で禁錮15年で、Facebookで王室批判を重ねた男性が2017年に禁錮35年の判決を受けた例もある。2014年クーデターで成立した軍事政権は不敬罪で98人以上を起訴したが、2018年9月以降は摘発が止まっている[62]。これは2016年に即位したラーマ10世(ワチラロンコン国王)の意向とされ、王室への批判を避ける理由と推測されている。プラユット首相も2020年6月に「国王の慈悲」が理由と発言している。代わりに、インターネット上で王室関連の噂話などはコンピューター犯罪法(CCA)で逮捕・訴追されている。 政治体制は立憲君主制であり、タイの国王は国家元首である。チャクリー王朝。その権限はタイ王国憲法により様々な制限が加えられている。[注 1]2014年のクーデター以降、約5年にわたって実権はNCPO議長にあったが、2019年にNCPOが解散されたことに伴い、政府に戻された。 国政の最高責任者は、首相である。中央省庁には、商務省、内務省、農業・協同組合省など、約20省がある。 タイ王国陸軍総司令官プラユット・チャンオチャが2014年に軍事クーデターを起こし、同年8月25日に首相に就任し憲法と議会を廃止して実権を掌握して以来、政党政治を禁止する軍事政権が2019年までの約5年間にわたって続いた。クーデター以降の立法府は「国家立法会議」である。チャンオチャは2018年11月に総選挙を行う見通しを表明していた[63]が、同年1月に国民議会で選挙法施行を90日繰り延べる法律が成立し、19年2月に延期された[64]。国会議事堂 立法府である国民議会は、上下二院制の議会制民主主義をとっており、ラッタサパー(??????)と呼ばれる。議会は500議席からなるサパー・プーテーンラーサドーン(??????????????)と呼ばれる民選の人民代表院(下院)と、150議席(2007年から1県1人の77人が民選、残りは任命制)からなるウッティサパー(???????)と呼ばれる元老院(上院)で構成される(2014年のクーデターにより上院は解散。2017年の新憲法により定員は200人、ただし新憲法以降期間の5年間は定員250人)。人民代表院の任期は4年で再選可、元老院は6年で1期のみである。首相は人民代表院から選出され、元老院には法律の発案権はない。 前回選挙は、2023年5月14日に投票が行われ、ピター・リムジャロェーンラット率いる前進党が第一党となったが、ピターの父親の資産問題が露見すると、国会はピターの首相指名を拒否したために与党の座は第二党であったペートンタン・チナワット 司法権はサーンディーカー(???????)と呼ばれるタイ最高裁判所が持つ。なお、最高裁判所の裁判官は全て国王による任命制である。 深南部三県では一部のマレー系住民が以前から離反の動きを見せていたが、近年は状況が悪化し、パタニ解放戦線などの組織がパタニ王国の復興を大義名分にして、反政府活動を行う動きが出ている。南部のマレー半島へはかつてアユタヤ朝が併合を目指して侵攻したものの、明と結んだマラッカ王国によりこの企図を放棄したものである。 タイ東部・北部ではかつて少数民族による共産ゲリラの反政府活動が活発であったが、1980年代に入りこれらの活動はほぼ沈静化している。 差別は残っているものの同性愛や女装などの異性装および性転換などに寛容であり、ニューハーフが多いことでも有名である。性転換手術も合法であり、海外から性転換手術を希望する患者を多く受け入れている。 しかし、仏教国のタイでも少数民族への差別は少なくない。タイ東北部のイーサーン人やラオ族は、タイ中央部の人から差別や偏見をされており、特に標準語を話せないタイ東北部の人は差別の対象となっている。 また、タイは歴史的に英仏の緩衝地帯とされ、植民地にされたことが一度もなく、現在でも周りのインドシナ半島の国より豊かなため、タイ人はラオス人やカンボジア人に対して愛国心を露わにすることがある。しかし、このような性格と行為は現代の若者に多く見られ、年配の人にこういったことはあまり見られない。 冷戦期にはアメリカとの同盟を基調とした西側戦略であったが、伝統的に柔軟な全方位外交を展開・維持しており、ASEAN諸国との連携、日本や中華人民共和国、マレーシアといった近隣主要国との協調を外交の基本方針としている。 しかし、2014年にクーデターによって軍事独裁政権が樹立されて以降、タイは中国との関係を急接に深めるようになった。タイの軍事政権に対して、日本や欧米諸国は、クーデターを非難して距離を置いているが、中国は軍事政権を支持し[注 2]、タイとの関係強化の姿勢を鮮明にした[65]。 タクシン首相時代は、東南アジアの近隣国との関係強化、主要各国との自由貿易協定(FTA)締結を進める経済中心外交を行い、「アジア協力対話」(Asia Cooperation Dialogue:ACD)」を提唱するなど地域の核となる立場を目指し、2008年7月から2009年12月までASEANの議長国を務めることが決まった。2009年11月8日、日本国首相鳩山由紀夫とタイ王国首相アピシット・ウェーチャチーワ(左) 2009年4月9日から12日まで東南アジア諸国連合関連の一連の首脳会議(ASEAN+3)がパタヤで予定されていたが、11日、タクシン元首相派団体である反独裁民主戦線(赤シャツ集団)などのアピシット政権に抗議するデモ隊の会場乱入により、中止に追い込まれた。一時は地域一帯に非常事態宣言が発令された。 2010年8月、カンボジアとの国境にあるプレアヴィヒア寺院(タイ語:プラヴィハーン)遺跡付近の領有をめぐって対立が再び激しくなる。その発端となったのは、反タクシン派団体である民主主義市民連合(PAD)がバンコクで2010年8月7日に開いた集会で、政治混乱による国民の不満を外にそらすため、強烈な国粋主義・民族主義に基づく、露骨な強硬外交を掲げたアピシット首相が「外交と軍事両方の手段を使う」と発言したことによると同国メディアは報じている。
不敬罪
政治「タイの政治」および「タイにおける政変一覧」も参照一時、国会議事堂として利用されていたアナンタサマーコム宮殿
国家元首現在のタイ王国国王
ラーマ10世
(2016年10月13日 - )詳細は「タイの国王」を参照
行政現在のタイ王国首相
セター・タビシン
(2023年8月23日 - )「タイの首相」および「Category:タイの中央省庁」を参照
立法
司法
反政府勢力・差別
国際関係・外交詳細は「タイの国際関係(英語版