7世紀後半以降、アラブ人イスラム教徒の支配でゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降、イギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒の関係が深まり、現在も少数派ながらインド経済社会で少なからぬ影響力を持つ[6]。聖地はイラン、ヤズド近郊に位置するチャクチャク[7]。
ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」(アータル、アヴェスター語: ?tar)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全神殿には、ザラスシュトラが点火したとされる火が絶えることなく燃え続け、神殿内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する[6]。中国では?教(けんきょう)とも筆写され、唐代には「三夷教」の一つとして隆盛した。他称としてはさらに、アフラ・マズダーを信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただし、アケメネス朝の宗教を「ゾロアスター教」とは呼べないという立場(たとえばエミール・バンヴェニスト)からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。また、この宗教がペルシア起源であることから、インド亜大陸では「ペルシア」を意味する「パールシー(パースィー、パーシー)」の語を用いて、パールシー教ないしパーシー教とも称される。
今日、世界におけるゾロアスター教の信者は約10万人と推計されている[6]。インド・イラン・欧米圏などにも信者が存在するが、それぞれの地域で少数派にとどまっている。
その来世観・終末論がセム的一神教や仏教などに影響を与えたという説もある[8]。善悪二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている。「世界最古の一神教」とも言われることもある。 ザラスシュトラの教え(原ゾロアスター教)がどのようなものだったのか、聖典『アヴェスター』が極めて難解なことから、今日では正確には分かっていない。様々な宗教の影響を受けて、6?9世紀にようやく教義が確立したとする向きもある。 ここではゾロアスター教の主な教義を記述したのち、その教義史について概観する。 ゾロアスター教で最重要の儀式とされるのがジャシャン
教義
儀式「ナオジョテ」も参照
7歳から12歳ころまでにかけてゾロアスター教入信の儀式「ナオジョテ(ナヴヨテ)」が行われる。儀式で入信者は純潔と新生の象徴である白い糸(クスティ)と神聖な肌着(スドラ)を身につけ、教義・道徳とを守ることを誓願する[6]。
守護霊ペルセポリスにのこされたゾロアスター教の守護霊フラワシ像
ゾロアスター教の守護霊は、善を表し、善のために働く「フラワシ」である[6]。フラワシはこの世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として神の神髄を表し、助けを求める人を救うであろうと信じられている[6]。 ゾロアスター教の礼拝は、「拝火神殿」と称される礼拝所で行われる。神殿は信者以外は立入禁止で、信者は礼拝所に入る前、手・顔を清め、クスティ
礼拝
葬送ヤズド(イラン)の「沈黙の塔」
ゾロアスター教の葬送は、鳥葬・風葬である[6]。この葬送は、遺体を埋納せず野原などに放置し、風化ないし、鳥がついばむなど自然に任せるもので、そのための施設が設けられることもある[6]。