ゾロアスター教
[Wikipedia|▼Menu]
紀元前3世紀に成立したアルサケス朝パルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアーリア人の信仰は守られた。3世紀初頭に成立したサーサーン朝ペルシアでは国教とされ、王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた[4]。サーサーン朝期には聖典アヴェスター』が整備された。また、活発なペルシア商人の交易活動によって中央アジア中国へも伝播していった。

7世紀後半以降、アラブ人イスラム教徒の支配でゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降、イギリスアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒の関係が深まり、現在も少数派ながらインド経済社会で少なからぬ影響力を持つ[6]。聖地はイラン、ヤズド近郊に位置するチャクチャク[7]

ゾロアスター教は(善)の象徴としての純粋な「」(アータルアヴェスター語: ?tar‎)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全神殿には、ザラスシュトラが点火したとされる火が絶えることなく燃え続け、神殿内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する[6]。中国では?教(けんきょう)とも筆写され、代には「三夷教」の一つとして隆盛した。他称としてはさらに、アフラ・マズダーを信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただし、アケメネス朝の宗教を「ゾロアスター教」とは呼べないという立場(たとえばエミール・バンヴェニスト)からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。また、この宗教がペルシア起源であることから、インド亜大陸では「ペルシア」を意味する「パールシー(パースィー、パーシー)」の語を用いて、パールシー教ないしパーシー教とも称される。

今日、世界におけるゾロアスター教の信者は約10万人と推計されている[6]。インド・イラン・欧米圏などにも信者が存在するが、それぞれの地域で少数派にとどまっている。

その来世観・終末論セム的一神教仏教などに影響を与えたという説もある[8]二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている。「世界最古の一神教」とも言われることもある。
教義

ザラスシュトラの教え(原ゾロアスター教)がどのようなものだったのか、聖典『アヴェスター』が極めて難解なことから、今日では正確には分かっていない。様々な宗教の影響を受けて、6?9世紀にようやく教義が確立したとする向きもある。

ここではゾロアスター教の主な教義を記述したのち、その教義史について概観する。
儀式「ナオジョテ」も参照

ゾロアスター教で最重要の儀式とされるのがジャシャンである。これは、「感謝の儀式」とも呼ばれ、物質界・精神界に平和秩序をもたらすと考えられている[6]。ゾロアスター教徒は、この儀式に参加することで生きていることの感謝の意を表し、儀式のなかでも感謝の念を捧げる[6]。ゾロアスター教祭司は、白衣をまとい、伝統的な帽子をかぶり聖火を汚さぬよう白いマスクをして儀式に臨む[6]。ここでは清浄さが求められる。

7歳から12歳ころまでにかけてゾロアスター教入信の儀式「ナオジョテ(ナヴヨテ)」が行われる。儀式で入信者は純潔と新生の象徴である白い(クスティ)と神聖な肌着(スドラ)を身につけ、教義・道徳とを守ることを誓願する[6]
守護霊ペルセポリスにのこされたゾロアスター教の守護霊フラワシ像

ゾロアスター教の守護霊は、を表し、善のために働く「フラワシ」である[6]。フラワシはこの世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として神の神髄を表し、助けを求める人を救うであろうと信じられている[6]
礼拝

ゾロアスター教の礼拝は、「拝火神殿」と称される礼拝所で行われる。神殿は信者以外は立入禁止で、信者は礼拝所に入る前、手・顔を清め、クスティと呼ばれる祈りの儀式をおこなう。クスティののち履物を脱いで建物に入り聖火の前に進んで、その灰を自分の顔に塗って聖なる火に対して礼拝を捧げる[6]
葬送ヤズド(イラン)の「沈黙の塔」

ゾロアスター教の葬送は、鳥葬風葬である[6]。この葬送は、遺体を埋納せず野原などに放置し、風化ないし、鳥がついばむなど自然に任せるもので、そのための施設が設けられることもある[6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:215 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef