1999年、クロアチア社会民主党ヘ入党。一時は党の報道官を務めていたこともある。2007年6月2日に長年、党首を務めていたイヴィツァ・ラカン
(英語版)の辞任に伴い、臨時党大会が開かれた。党首選挙で数人の候補がいたが、最終的にイヴィツァの最側近であったジェリカ・アントゥノビッチ(英語版)候補との一騎打ちとなった。結果、828票対625票の投票差で党首に当選[4][5]。クロアチア社会民主党は同年の議会選挙にて、全153議席あるうちの56議席を獲得した。世界金融危機では同国内の政府の対応が遅く、彼は十分な経済措置がなかったと政府に非難した[6]2011年11月の議会選挙で全151議席のうち、80議席を獲得。議会の承認を受け、彼は12月23日に首相ヘ就任した[7]。2014年には同性婚の権利を保証する生活パートナーシップ法を制定。2013年には、念願だった欧州連合への加盟を実現した[8]。 2020年1月5日、コリンダ・グラバル=キタロヴィッチを破り、大統領に当選[9]。同年2月19日に就任した。 2022年、ロシアとウクライナとの間で緊張が高まる中、ミラノヴィッチは報道機関とのインタビューで「私たちは(ウクライナの危機に)全く関係がない。クロアチアは有事の際、いかなる軍隊も派兵しない」と発言。これに対しウクライナ外務省は、クロアチアが独立の際に支援を行った過去の関係から激怒。駐在大使を呼びつけると「恥知らず」という厳しい言葉を使って抗議した。最終的に、プレンコビッチ首相が弁明することで事なきを得たが、二国間関係に傷をつけた格好となった[10]。
大統領
脚注^ ミラノヴィッチ氏の生涯 - vecernji.com
^ ミラノヴィッチ氏、ジャーナリストの声明に笑い - N1.com
公職
先代
コリンダ・グラバル=キタロヴィッチ クロアチア共和国大統領
第4代:2020年 -次代
公職
先代
ヤドランカ・コソル クロアチア共和国首相
第4代:2011年 - 2016年次代
ティホミル・オレシュコビッチ