ゾクチェン
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^ 『伝承祈願文』には、その宗派に共通の祈願文と、各流派の祈願文と、その宗派に共通な根本ラマへの祈願文と、その流派の歴代のラマ(祖師)への祈願文と、自身の根本ラマへの祈願文と、特別なラマへの祈願文がある。長いテキストの修法や、法要の際にはそれらを必ず唱えることになるので、各宗派やその流派の特徴が聞いただけで分かるようになっている。また、チベット密教では内容の長短はあっても四大宗派が共に各『伝承祈願文』を唱え、伝統的にこれを唱えない宗派は存在しない。
^ 英訳:ソギャル・リンポチェ、RIGPA刊。和訳:中沢新一、T.C.C(旧・チベット文化研究所)刊、1989年。
^ 中国訳は『西蔵古代佛教史』(寧?佛教史)、劉鋭之 翻訳、1969年刊。
^ 「ペマ・ジュンネー」には、「ツォキェー・ドルジェ」と「グル・ナンスィー・スィヌン」という二つの呼び名がある。「ツォキェー・ドルジェ」(mtsho skyes rdo rje)は『三根本法』の主尊の名前であり、「グル・ナンスィー・スィヌン」(gu ru snang srid zil gnon)は『蓮華生大師八大変化法』(グル・ツェンギェー:gu ru mtshan brgyad)の本尊の名前でもある。
^ 「シャーキャ・センゲ」はゾクチェンと『大幻化網タントラ』の法統に関する名前。この名前の梵名シャ?キャ・シンハ(漢名:釈迦獅子)の「シンハ」は、ゾクチェンにおける師僧「シュリー・シンハ」(漢名:吉祥獅子)の後半の名前をもらい、その直弟子であり、ゾクチェンの全伝を授かったことの証明である。また、『大幻化網タントラ』の法脈においては、この「シャ?キャ・センゲ」の名前で登場することがある。密教においては、正式な修行者は出家の際に法名と字(あざな)の二つを授かり、これに密号や諡(おくりな)が加わり、通常、二つから四つの複数からなる名前を持つ。
^ 『藏伝佛教壇城度量彩絵図集』には、『大幻化網タントラ』の種々の曼荼羅を中心に、ニンマ派の主要な尊格の曼荼羅について、その作画法から立体曼荼羅までも、詳細なカラー図版と共に紹介している。
^ この人物は、インド密教における主要なタントラの重要な伝承者として知られる。梵名の「クク」は犬、「ラージャ」は王様を意味し、ククラージャが犬を飼っていてとても可愛がり、いつも一緒にいたところからこの名で呼ばれた。それゆえ、タンカには犬を抱きかかえた姿で描かれている。
^ 原文はチベット語、英訳と中国訳『歡喜持明空行 紅宝珠錬』がある。
^ この項は『寧?佛教史』(劉鋭之 翻訳)、他による。
^ 原文はチベット語、英訳と中国訳があり、英訳はアメリカで賞を受賞、中国訳『大圓満傅承源流』は系統ごとのタンカと血脈の系統図を新たに製作しカラー図版を添付して全二巻、約1000ページを超える大著となっている。
^ トゥカン(1737-1802)は、トゥカン・ロサン・チューキ・ニマ(Thu'u bKwan blo bzang chos kyi nyi ma)、あるいはトゥカン・チューキ・ニマとも呼ばれるチベット仏教を代表する宗教学者。その著作『一切宗義:善説水晶鏡』(grub mtha shel gyi me long)によって、チベットでは宗派を問わずよく知られている。その内容はニンマ派のみならず、ボン教や当時の印度の諸宗教をも網羅していて、今日では知ることの出来ない歴史的な内容を含み、学問的研究や文化史だけでなく、チベット仏教の各宗派の全体像を理解する上では必須の資料とされている。「ニンマ派の章」では、ゾクチェンとその関連する諸法についての概略と、ニンマ派の各流派における詳細な系譜を載せていて、「カギュ派の章」では、中心となるマハームドラー(大手印)とナーローの六法についての概略と、カギュ派の各流派における詳細な系譜を載せている。また、「ボン教の章」では、その当時の古いボン教の流派の中には、ゾクチェンをボン教の教えとして認めない流派もあったことなどが述べられている。ただし、本人がゲルク派侶でもあるため、現代的な学問の視点から比べると、対立する宗派については研究の及ばない点も多く見られる。
^ 現代では、ドゥジョム・リンポチェの瞑想に基づくテルマを集めた『ドゥジョム全集』を始めとして、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェのテルマを集めた全集、ペノル・リンポチェのテルマを集めた全集、トゥルシク・リンポチェのテルマを集めた全集等々があり、いずれも「カンド・ニンティク」の系統に数えられている。
^ サムイェー寺の建立については諸説ある。「賢者喜宴」には開始763年-774年終了とあり、「西蔵王臣記」には開始767年-771年終了とある。日本における吐藩の歴史研究を参考にティソン・デツェン王の生没を(Khri srong lde brtsan:生742年-没797年)とし、在位を(755年頃-797年)と比定、また、サムイェー寺の完成を「西蔵王臣記」に基づく771年、「サムイェー寺の宗論」を792年とする。これにより、ニンマ・カマのゾクチェンの成立は8世紀と考えられ得る。テルマの系統のゾクチェンはテルマ(埋蔵経)としての性格上、「ランダルマの破仏」(834-842)が行なわれた後のことと見られるので、9世紀から10世紀または、そのテルマが発見された時に始まる。実際には初期のニンマの教えは吐藩の仏教と言ってもよく、吐藩が滅亡した842-877年以降に、中央チベット地域に新たに成立した国家によって新訳派と呼ばれる仏教がインドからもたらされることになり、吐藩の仏教であったニンマの教えが「ニンマ派」と呼ばれるに及んで、各種のテルマをはじめとして、ゾクチェンの教えも再編成されたと見られる。
^ パドマサンバヴァの直弟子は数多くいたとされ、主に地名と数によって呼ばれる。「ティンプーの25人の成就者」、この25人の弟子たちは最初の正式な弟子であるため「試みの25人」とも呼ばれる。「ゾンの55人の大覚者」、「イェルパとチョウォリの108人の『虹の身体』の成就者」、「シェルダクの35人の密呪者」、「光となって消えた25人のダキニ(と呼ばれた女性たち)」、「女性の(瑜伽の)成就者」等が有名である。各資料によってその人数は一致するが、名前は異同があり、必ずしも一致しない。
^ チベット名を「サンワ・ニンポ」、中国訳の全訳は『幻化網秘密藏續』。
^ 「五成就」とは、信成就・時成就・教主成就・住処成就・眷属成就の五つを指す。弘法大師空海による『理趣釈経』の請来以来の言葉で、仏教学や密教学では経典の由来や曼荼羅の講成を考察する際の参考とされる。また、経典によっては「六成就」とするものもある。

出典^ 『チベット密教』 pp.207-208、『増補 チベット密教』 pp.197-198
^ 『三万年の死の教え』 p.114
^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、pp.6-7。
^ 『Die Religionen Tibets und der Mongolei』、pp.94-106。
^ 山口瑞鳳「チベット仏教」(『講座 東洋思想』5)、p254、p260、p270。
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