ゾクチェンは、ニンマ派の伝統では歴史上のパドマサンバヴァ(蓮華生[註 6])が伝えた教えの一つに数えられ、ニンマ派の六大寺院に大別される六大流派には、それぞれに異なる流れのゾクチェンが伝わっている。14世紀にゾクチェンの教えをまとめて体系化した学僧ロンチェン・ラプジャムパが明確化した[註 7]ニンマ派の「九乗教判」によると、無上瑜伽タントラの頂点であるアティヨーガ乗に位置づけられ、法身普賢(クントゥ・サンポ)を主尊とする。ニンマ派においては、このアティヨーガ乗の境地がゾクチェンと等しいとされ、ゾクチェンはアティヨーガの異名であり[16]、同時にその教えの法流の名称でもある[17]。 ニンマ派の『大幻化網タントラ』を依経とする密教的境地のゾクチェンと、太古からのスタイルを守るとされるボン教のゾクチェンの同一性に関して、ゾクチェンが純粋な仏教の教えであるとするニンマ派の教学的観点から問題視されることがある。ニンマ派のドゥジョム・リンポチェがチベット亡命政府主催のチベット仏教者会議において、ニンマ派はボン教と異なるインドの仏教であるとしてニンマ派を純粋な仏教として主張したことがある。また、サテル(地下の埋蔵経)の『ドゥジョム・テルサル』によるゾクチェン[註 8]は、『宝性論』等を主とした如来蔵と唯識の説を背景とするインドのヴィクラマシーラ大僧院の僧院長であった密教の大学者ラトナーカラシャーンティ
仏教教義上の位置づけ
ダライ・ラマ14世[註 10]は、ロンチェン・ラプジャムパの『法海の宝蔵』の註釈や、ジグメ・リンパの直弟子の3代目に当たるトゥルクであるドドゥプチェン・ジグメ・テンペ・ニマ (1865-1926) の著述などを基に、主に中観帰謬論証派の見地から、ゾクチェンのいう原初の清浄性は顕教とは空性の意味が異なるが、ある意味で空(くう)であると説いている[19]。ロンチェンパや近世の学僧ミパム・ギャツォ(1846-1912)[註 11]のゾクチェンにおける空性の理解は、中観帰謬論証派の見解とほとんど合致している、もしくは両者の見解が相補的なものであることを主張している[20]。また、ミパムの『宝性論註』等は、ゾクチェンにおいて第二転法輪の『般若経』の空性の教えと第三転法輪の『如来蔵経』の教えを結びつけている。かれらは「他空
」(シェントン:gzhan stong)[註 12][21]という言葉を使用しているが、ダライ・ラマ14世によれば、そのほとんどは「基」(gzhi)としての心である「リクパ」(rig pa:純粋意識)のことを指しており、過去のチベットでチョナン派のトゥルプパ・シェーラプ・ギェルツェンが唱え、梵我などの非仏教の教説に通じるものと批判された『他空説』[22]でいうところの他空とは意味が異なるという[23]。ニンマ派のアティヨーガに属するゾクチェンの教えは、以下のようにセム(心)、ロン(界)、メンガク(秘訣)の三部に分類される[24]。チベット学者のサム・ヴァン・シャイクは、ゾクチェンの三部は、初期のニンティク文献の登場に伴ってそれ以前の古いゾクチェンの形態とを区別するためにできた分類ではないかと考察している[13]。
セムデ(心部、心の本性の部)
ここでいう心は菩提心を指している。8世紀後半から9世紀頃に活躍した訳経法師ヴァイローチャナ(パドマサンバヴァの二十五大弟子のひとり)が留学先のインドでシュリーシンハに学び、チベットに請来した教えとされる。『クンチェ・ギェルポ