ソ連代表と西側の選手がチームで対戦することもあったが、特にボリス・スパスキーとアメリカ人のボビー・フィッシャーが対戦した1972年の世界王者決定戦は試合の進行をめぐり、クレムリンやホワイトハウスが介入するなど、政治的な問題にまで発展することがあった。敗れたスパスキーはその後の待遇悪化などで、1975年にはフランスへ亡命した。
体制崩壊後は西側へ拠点を移す選手もいたが、ウラジーミル・クラムニクなど、ソ連時代のチェス学校で教育を受けた選手が多数活躍している。旧東ドイツや近隣の東欧諸国でもソ連と似た状況にあった。
中華人民共和国ではスポーツの管理に関してソ連を手本としたため、半官半民の組織(中華全国体育総会)による統括やマインドスポーツを国家体育総局が管轄するなど影響が大きい。 サッカーはソビエト連邦で最も人気のあるスポーツの1つであった。サッカーソビエト連邦代表は1950年代から1960年代にかけて黄金期を迎えており、ステート・アマを採用したオリンピックでの活躍は目覚ましかった。1956年のメルボルンで金メダル、1972年のミュンヘン、1976年のモントリオール、1980年のモスクワでは銅メダルを獲得した。1988年のソウルはプロ解禁が行われた後であったが、金メダルを獲得しソ連代表の有終の美を飾った。 FIFAワールドカップでは、オリンピックほどの目立った活躍はないものの、1966 FIFAワールドカップではベスト4に進出するなど、しばしば上位に進出する強豪国として知られていた。またソ連の伝説的な選手であり、史上最高のゴールキーパーとされるレフ・ヤシンは世界年間最優秀ゴールキーパーに与えられる賞であるヤシン・トロフィーにその名を残しており往時の強さを偲ばせている。 UEFA欧州選手権での活躍も目覚ましく、1960年の第1回大会で優勝。その後も1964年、1972年、1988年で準優勝の成績を収めている。1988年の準優勝は同年のオリンピック金メダルと並んで、ソ連代表の有終の美を飾った。 ソビエト社会主義共和国連邦におけるサッカーの結果開催国結果
サッカー
1958 FIFAワールドカップ スウェーデン王国ベスト8
1960 欧州ネイションズカップ フランス優勝
1962 FIFAワールドカップ チリ共和国ベスト8
1964 欧州ネイションズカップ スペイン準優勝
1966 FIFAワールドカップ イングランド4位
1970 FIFAワールドカップ メキシコ合衆国4位
1974 FIFAワールドカップ ドイツ4位
1978 FIFAワールドカップ アルゼンチン共和国予選敗退
1982 FIFAワールドカップ スペイン王国2次リーグ敗退
1985 FIFA U-16世界選手権 中華人民共和国不参加
1986 FIFAワールドカップ メキシコ合衆国ベスト16
1987 FIFA U-16世界選手権 カナダ優勝
1989 FIFA U-16世界選手権 スコットランド不参加