イスハーク1世を継いだアスキア・ダーウード(英語版)(位1549年 ? 83年)の治世には、ソンガイ帝国は経済的に繁栄し全盛期を迎えた。農地はよく耕され、サハラ越えの隊商はスペイン・ポルトガルのキャラベル船による大西洋交易路を圧倒する物量を誇っていた。取引税や帝国内の不動産から得られる収入を預かる国庫が建設され、王の倉庫には国内から集められた何千トンもの穀物で満ちていたという。また、ダーウードは、学問・芸術の偉大な保護者であって、学者たちに名誉を授けるのみならず、多くの品々を彼らに贈った。また、貧民救済策やモスクの修復にも積極的であった。
サアド朝モロッコによる侵攻詳細は「サアド朝」、「トンブクトゥ・パシャリク(英語版)」、および「en:Arma people」を参照
テガーザの塩鉱については、ダーウードの治世まではソンガイ帝国の利権と所有が保証されていたが、その子ムハンマド3世(位1583年 - 1586年)のときにサアド朝によって占領された。ムハンマド3世の弟ムハンマド4世が1586年に即位すると王位継承争いが起こり、最終的にイスハーク2世が勝利して即位したものの、内乱によってソンガイ国内はずたずたになっていた。1591年、トンディビの戦い(英語版)でイスハーク2世がen:Judar Pashaに敗北。王族の内通者と優れた火器をもつサアド朝の遠征軍によって、帝国は1592年に滅亡した。
滅亡後
ソンガイ第二帝国詳細は「デンディ王国(英語版)」を参照
関連項目
アスキアの墓
en:Tarikh al-fattash
en:Tarikh al-Sudan
参考文献
S.M.シソコ著、竹村景子訳 「十二世紀から十六世紀までのソンガイ人」『ユネスコ アフリカの歴史』第4巻所収、同朋舎出版、1992年。ISBN 4-8104-1096-X。
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