ソフト・ロック
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当時の担当者の談によると、「自然発生的に流通しており、それを拝借した」という[5]。だが、日本でも世界でも文化的ムーブメントもなく、以降もしばらくの間、この言葉が定着することはなかった。

1980年代から、青山の「パイド・パイパー・ハウス」や吉祥寺の「芽瑠璃堂」、原宿の「メロディー・ハウス」のような東京の輸入レコード店や、ミニコミの音楽誌、特に「POP-sicle」は山下達郎なども寄稿し、このジャンルを再評価をする流れを生んだと言える[5]。そういった店に通って影響を受けたフリッパーズ・ギター小山田圭吾小沢健二ピチカート・ファイヴ小西康陽などのミュージシャンが「渋谷系」と呼ばれ評価されるようになった。一般の『レコード・コレクターズ』誌や『ミュージック・マガジン』誌などの音楽誌も追従し、記事に取り上げるようになっていった。並びにレコード会社もこのジャンルに注視しCDでの再発を進めたことによって、このジャンルの人気が上がっていった。1996年に出版されたミニコミ誌の『VANDA』(創刊1991年)編集人の佐野邦彦編の「ソフト・ロックA to Z」(音楽之友社、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-276-23804-8)によってこのジャンルが定義され、またこの「ソフトロック」という言葉も定着した。
海外の「Soft Rock」

日本において「ソフトロック」とされる音楽は、1980年代の英米では全く顧みられない音楽であった。これは音楽評論が「ポップス軽視」の姿勢を取り続けたことが大きい。自作自演のロックならミュージシャン主導の物なので優れている、その反面ポップミュージックはスタジオミュージシャンとプロデューサーの仕事で「商業主義の権化だ」といったカウンターカルチャー的姿勢から、これら音楽を「軟弱が過ぎるもの」として無視していた[6]。このジャンルの音楽は、過去のレコード盤かごく一部の限られたアーティストのベスト盤、オムニバスの編集盤ぐらいしか存在しなかった。80年代後半から90年代の初頭に於いて日本国内の各レコード会社がこのジャンルのレコードのCD化を進めた事によって、逆輸入的に存在がクローズアップされるようになった。英米がこのジャンルに注目するようになったのは90年代も後半で、かなりの時期「CDで聴きたいならば日本盤しかない」という状態が続いた。この「ソフトロック」人気は、日本先行であり、日本発の世界初CD化や日本のみでのCD発売、日本の業者による非CD化音源の海賊盤の例も多い[注 3]

海外で「Soft Rock」というとほぼ全く違う音楽を指す。音楽データベースサイト「AllMusic」によると.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「ソフトロック(ライトロックとも言われる)は、1960年代後半に南カリフォルニアとイギリスで生まれたロック音楽の一形態で、シンガーソングライターやポップロックのエッジを滑らかにし、シンプルでメロディックな曲と大きく豊かな演出に頼っている。ソフトロックは1970年代にラジオで流行し、やがて1980年代にはアダルトコンテンポラリーという合成音楽の一形態に変貌した。」[7]

となっている。英語版Wikipediaでは「スティーリー・ダン」や「ドゥービー・ブラザーズ[注 4]、「クリストファー・クロス」辺りの一般的にAORとされる音楽や、「シャカタク[注 5]等のフュージョンイージー・リスニングの類、「ジャクソン・ブラウン[注 6]や「ニール・ヤング」等のシンガー・ソングライター等々が「ソフトロック」とされている。日本で「ソフトロック」と呼ばれるものは欧米では近年「サンシャイン・ポップ」と呼ばれるようになっている。
主なアーティスト
一部ソフトロックといえる曲、アルバムが存在するグループ

他ジャンルとしてデビュー、若しくは割合としてソフトロックと呼べない作品の方が多い、少数のみソフトロックの曲を発表しているアーティスト。

ザ・ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソン) (The Beach Boys)[8][注 7]

ボー・ブラメルズ (The Beau Brummels)[9][注 8]


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