ソフィア_(ブルガリア)
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公共交通機関はバス(総延長153.6キロメートルのネットワーク[34])およびトロリーバス(総延長97キロメートルのネットワーク[34])を中心に整備されており、市内各地を巡回している[38]ソフィア地下鉄1998年に開業したばかりであり、2路線が開通している[39]。既存の路線の延伸や3号線が計画中・建設中であり、地下鉄網の充実が図られている。[39]。ソフィア地下鉄の計画の骨子には3本の路線、47の駅が含まれている[39]。私有のバンによる巡回輸送も有力かしてきており、公営の交通機関よりも早く、タクシーよりも安い。2005年の時点で、このような運営形態のバンは368台あり、都心部と郊外に48路線を持っている[34]。また、およそ6,000台の営業許可を受けたタクシーが運行しており、更におよそ2,000台が違法営業していると見られている[40]。タクシーは他のヨーロッパ諸国に比べて安価であり、町の有力な交通手段となっている。

1990年代の自動車保有比率の上昇によって、ソフィアで登録を受けた自動車の台数は1百万台を超えている。ソフィアは道路の舗装と修復が十分ではなく、ほとんどの通りは貧弱な状態にある[41]交通量の増大と大気汚染は町ではより深刻な問題となっている。地下鉄システムの整備によってこれらの問題が解決することが期待されている。

ソフィアには独特の、大規模なコジェネレーション・システムが稼動している。ソフィア全域に相当する900,000の世帯と5,900の会社が一元的に熱供給を受けており、ガスおよび石油火力による発電(3000メガワット)の廃熱を利用している。

ソフィア地下鉄のセルディカ駅

ソフィア空港の第2ターミナル

路面電車はソフィアの典型的な交通機関

建築物

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出典検索?: "ソフィア" ブルガリア ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年12月)

歴史的建造物聖ソフィア聖堂は6世紀半ばの東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の統治下で作られ、町の名前の由来となった。

多くの古代ローマやビザンティンの建築物が町とその周囲に残されている。最も特筆すべきものとして、10世紀ボヤナ教会UNESCOの世界遺産に登録されている)や、ソフィアで現存する最古の建築物と考えられている聖ゲオルギ聖堂、初期ビザンティン時代の建築である聖ソフィア聖堂などがある。

中世の興味深い建築物として聖ペトカ教会がある。これは街の最も中心に位置しており、周囲を取り巻くツム・デパート、旧共産党本部、シェラトン・ホテルという3つのスターリン様式の建築群と好対照を成している。
ブルガリア解放後と共産主義時代

1878年のブルガリア解放と、ブルガリア自治公国成立後にその首都となったソフィアでは、アレクサンダル公がオーストリア=ハンガリー帝国の建築家らを招き、新しい首都の建築デザインを形作った[42]。このときブルガリアに招かれた建築家には、フリードリヒ・グリュナンガー(Friedrich Grunanger)、アドルフ・ヴァーツラフ・コラージュ(Adolf Vaclav Kola?)、ヴィクトル・ルンペルマイヤー(Viktor Rumpelmayer)らがいる。これらの建築家によって、ブルガリアに新しく誕生した政府が必要とする重要な公共施設の大半や、有力者らの家屋が設計された[42]。後に、外国で教育を受けた多くのブルガリア人の建築家がソフィアの建築に貢献した。

ソフィア中心部の建築は、新バロック様式、新ロココ様式、新ルネッサンス様式、新古典主義建築などが入り混じり、後にはウィーン分離派の影響も重要な役割を果たした。

ソフィア中心にこの時代に立てられた重要な建築物には、王宮(現在は国立アート・ギャラリーとなっている)、国立民俗博物館(1882年)、イヴァン・ヴァゾフ国立劇場(1907年)、旧国立印刷局(現在は国立外国アート・ギャラリーとなっている)、ブルガリア議会(1886年)、ブルガリア科学アカデミー(1893年)などがある。

第二次世界大戦の後、ブルガリアに共産主義政府が樹立される1944年以降は、建築の様式は大幅に入れ替わった。スターリン様式の公共の建築物が街の中心に現れるようになり、郊外の多くは共産主義時代の高層建築(панелки / panelki)とブルータリズム建築(Brutalist architecture)が占めるようになった。

1989年に共産主義体制が崩壊すると、ソフィアはビジネス街と郊外の大規模な建築を見るようになった。現代的で摩天楼のような、ガラスで表面を覆われたオフィス・ビルディングや、高級住宅街も建設された。

新古典様式の建築

街の中心のツム・デパート

教育ソフィア市内における一般的な学校の校舎ソフィア大学

ソフィアには16の大学がある。1888年創設のソフィア大学はブルガリアで最も権威のある大学とみなされている[43]。同大学では毎年14000人の新入生を受け入れている。その他の重要な大学には国立芸術アカデミー、ソフィア技術大学、国家・国際経済大学、ソフィア医科大学、クルステョ・サラフォフ国立演劇映画芸術アカデミー、建築・土木工学・測地学大学、林学大学、新ブルガリア大学がある。

更に、国家の機関としてブルガリア科学アカデミー、聖キリル・メトディイ国立図書館がソフィアに置かれている。ソフィア・アメリカン・カレッジは1860年に創設され、アメリカ合衆国の国外では最古のアメリカの教育機関と見られている[44]。同学校ではブルガリアで特に優秀な学生らに教育を施している[45]
スポーツレフスキ・ソフィアとチェルシー F.C.による試合。UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07で、ヴァシル・レフスキ国立競技場にて。

ソフィアはブルガリアの首都であることから、スポーツ活動の拠点ともなっており、ソフィアを拠点とする数多くのスポーツ・クラブがある。その中には、ブルガリア1部リーグのサッカー・クラブであるPFC CSKAソフィアおよびレフスキ・ソフィアロコモティフ・ソフィアスラヴィア・ソフィアや、かつて有力なクラブであったアカデミク・ソフィア(Akademik)、スパルタク・ソフィア(Spartak Sofia)、セプテムヴリ・ソフィアなどがある[46]。ブルガリアのスポーツにおけるソフィアの優位性は、ソフィアに拠点を置いているチームによるものであり、その中には既に解散したチームA.S. 23[47]による貢献もある。1923年にリーグが創設されて以来、このチームは解散までの間に何度もチャンピオンの座に輝いた。

サッカーがソフィアを含むブルガリア全土で最も人気のあるスポーツであるが、バスケットボールバレーボールもまたソフィアでは伝統あるスポーツである。最も良く知られたチームにはPBCルコイル・アカデミク(Lukoil Academic)があり、ユーロリーグにおいて2度チャンピオンとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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