ソビエト
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4月に帰国したレーニンは、「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」(四月テーゼ)で、労働者代表ソヴィエトを「ただ一つ可能な革命政府の形態」と評価し、臨時政府打倒と全権力のソビエトへの移行を主張した[6]。ソビエトはパリ・コミューンと同じ型の権力と評価された。この型の基本的な標識はつぎのようなものである。(一)権力の源泉は、あらかじめ議会によって審議され承認された法律ではなくて、下からの、各地における人民大衆の直接の発意であり、流行の用語をつかっていえば、直接の「奪取」である。(二)人民からはなれ、人民に対立する機関としての警察軍隊が、全人民の直接の武装に代えられる。こういう権力のもとで国家秩序を維持するのは、武装した労働者・農民それ自身、武装した人民それ自身である。(三)官吏・官僚も、これまた人民自身の直接の権力に代えられるか、すくなくとも特別の監督のもとにおかれ、人民に選出されるばかりか、人民が要求すればいつでも代えることができるものとなり、単なる代理人の地位に引きおろされる。彼らは、その「地位」にたいしてブルジョアなみの高給をもらう特権層ではなくなって、熟練労働者の普通の賃金をこえない俸給をもらう特別の「兵種」の労働者となる[7]

8月から9月にかけ、ボリシェヴィキはペトログラードとモスクワのソビエトで多数派の支持を獲得した。それを受けてレーニンはボリシェヴィキ内で武装蜂起による権力奪取を呼びかけた。ペトログラード・ソビエトの議長だったトロツキーはソビエトの軍事革命員会を率いて蜂起の準備を進め、10月25日の労働者・兵士ソビエト第二回全ロシア大会の直前に実行して権力を奪取した。
十月革命以後

ソビエトは十月革命により国家機関となったが、レーニンが構想した通りのコミューン型国家は実現されず、むしろそこから急速に離れていった。

政府機関として、ソヴィエトとは別に人民委員会議が設立され、レーニンが議長に就任した。ボリシェヴィキ党内で反対意見があったにもかかわらず[8]、この制度はそのまま恒常化し、1918年憲法にも書き込まれた。人民委員会議は「全体として全ロシア・ソビエト大会および全ロシア・ソビエト中央執行委員会にたいして責任を負う」と規定された(第46条)。ソヴィエトは人民委員会議を権威づけるだけの存在になっていった。

ソビエトの全ロシア中央執行委員会は、1918年6月14日社会革命党とメンシェヴィキをソビエトから追放する布告を出した。つづく7月には左翼社会革命党がボリシェヴィキ政権に対して反乱を起こした。ソビエトにはボリシェヴィキだけが残り、その結果、政策決定はボリシェヴィキ党内で完結するようになっていった。
表現・用例に関する留意点
ロシア語の一般名詞としてのソビエト

ロシア語以外の言語では、「ソビエト」という単語は「ソ連」の同意語、ないし「ソ連型社会主義」や「共産主義」に類した語、もしくはそれらと密接な関係を持った語として扱われる場合が多い。しかし、ロシア語においては「ソビエト(совет)」という単語は、「忠告、助言」、「会議、協議、評議」、「協議会、評議会、理事会」などを意味する一般名詞であり、日常会話のなかでは(国家としての)「ソ連」や「共産主義」と特に関係のない文脈において用いられる場合が多い。

例えば、「会議、評議会」としての「совет」は、帝政ロシア時代から現在まで国内外の会議・議会等に用いられている。また、ソ連の各級立法・行政機関も「ソビエト」と呼ばれていた。現在のロシア連邦議会上院も「Совет Федерации」(サヴィェート・フェデラーツィイ、連邦会議)と表現される。同様に、帝政ロシアや現在のロシアを含む各国の国務院は「Государственный Совет」(ガスダールストヴェンヌィイ・サヴィェート)と呼ばれている。また、国際組織としては、国際連合安全保障理事会が「Совет Безопасности」、欧州連合理事会が「Совет Европейского Союза」、といった形で表現される。

また、この一般名詞「совет」から展開される語としては、「忠告者」、「顧問、参事」を意味する名詞「советник」(サヴィェートニク)や「совечик(女性形:совечица)」(サヴィェーチク:サヴィェーチッツァ)、「忠告する」を意味する動詞「советовать」(サヴィェータヴァチ)及び「посоветовать」(パサヴィェータヴァチ)、「助言を求める」を意味する動詞「советоваться」(サヴィェータヴァッツァ)及び「посоветоваться」(パサヴィェータヴァッツァ)、「会議、審議会」を意味する「совещание」(サヴィシシャーニイェ)、その形容詞の「совещательный」(サヴィシシャーチェリヌィイ)、「協議する」という動詞の「совещаться」(サヴィシシャーッツァ)などがある。

一方、(固有名詞から展開される形容詞)「ソ連の」「ソビエトの」は、「советский」(サヴィェーツキイ)と表現される。
他言語におけるソビエト

「ソビエト」はロシア語においては本来は一般名詞であるが、「ソビエト」という語は日本語英語のようなロシア語以外の他言語においては意味的な訳語を用いることなく固有名詞的に音そのままに「ソビエト」と表現され用いられる場合が多い(音訳)。中国語における漢字表記も音訳の「蘇維埃」であり、1931年中国共産党の樹立した中華ソビエト共和国も漢字表記は「中華蘇維埃共和國」である。

ただし、いくつかの言語においては意味的な訳語が用いられている(意訳)。ウクライナ語では「議会」を意味する「ラーダ(рада)」がソビエトの訳語として用いられており、「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」もウクライナ語では「ウクライナ・ラーダ社会主義共和国(Укра?нська Радянська Соц?ал?стична Республ?ка)」となる(ただし、非ウクライナ語圏においては、単に「ラーダ」といった場合は反ボリシェヴィキ派の組織であるウクライナ中央ラーダを指すことが多い)。また、バルト三国リトアニア語(taryba)、ラトビア語(padome)、エストニア語(noukogu)でも訳語が用いられている。ソ連国外ではフィンランド語モンゴル語等で訳語が用いられる。

また、ドイツ革命時に作られたソビエトに相当する労兵評議会は、ドイツ語で「レーテ」(Rate, ロシア語の一般名詞としての「ソビエト」とほぼ同じ意味)と呼ばれた。ただし現在のドイツ語でソ連やソ連のソビエトを指す「ソビエト」はそのまま「Sowjet」である。
各地のソビエト

ロシア革命からその後のロシア内戦期にかけてロシアとその周辺には、次表のように「ソビエト」の名を冠した国家組織ないし政権(統治機関)が旧ロシア帝国内外に誕生した。










ロシア革命後に誕生した国家組織(1917年 - 1922年)
ヨーロッパロシア

ボリシェヴィキ

ロシア・ソビエト共和国

ソビエト社会主義共和国連邦

非ボリシェヴィキ系

ロシア共和国


北部
沿バルト海
白ロシア
ポーランド

ボリシェヴィキ系

フィンランド社会主義労働者共和国

カレリア労働コミューン

エストニア労働コミューン

水兵・建設労働者ソビエト共和国

ラトビア労働者・兵士・小作農代表ソビエト執行委員会

ラトビア社会主義ソビエト共和国

リトアニア・ソビエト社会主義共和国

白ロシア社会主義ソビエト共和国

リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国

ルドベリ・パルチザン共和国(ロシア語版)

白ロシア社会主義ソビエト共和国

ポーランド臨時革命委員会(ポーランド語版)

非ボリシェヴィキ系

北カレリア国

北ロシア(ロシア語版)


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