ソビエト連邦
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1922年@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}32,553,129[要出典]km²
1933年21,352,572[注釈 4]km²
第二次世界大戦後22,402,200km²

人口
1933年163,166,100[注釈 5]
1970年242,768,000人
1991年293,047,571人

変遷
十月革命1917年11月7日
建国1922年12月30日
承認1924年2月1日
一党独裁体制の放棄1990年3月14日
8月クーデター1991年8月19日 - 22日
ソビエト共産党の解散勧告1991年8月24日
解体消滅1991年12月26日

通貨ソビエト連邦・ルーブル
時間帯UTC +2 - +13(DST: なし)
ccTLD.su
現在 ロシア
 ベラルーシ
 ウクライナ
モルドバ沿ドニエストル共和国を含む)
ジョージア
アルメニア
アゼルバイジャン
カザフスタン
ウズベキスタン
トルクメニスタン
キルギス
タジキスタン
 エストニア
 ラトビア
 リトアニア
先代次代
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
白ロシア・ソビエト社会主義共和国
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国ロシア
ベラルーシ
ウクライナ
モルドバ
グルジア
アルメニア
アゼルバイジャン
カザフスタン
ウズベキスタン
トルクメニスタン
キルギス
タジキスタン
エストニア
ラトビア
リトアニア

ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、ソビエト社会主義共和国聯邦、ロシア語: Союз Советских Социалистических Республик  発音、頭字語: СССР[注釈 6])は、1922年から1991年までユーラシア大陸北部に存在した社会主義国家。複数のソビエト社会主義共和国から構成される連邦国家であった。首都モスクワ

国土面積は約2240万km2で、世界最大の面積であった。国土の南西ではアジアヨーロッパの各国と国境を接しており、一方の北東部では、海を挟んで北アメリカ大陸と向かい合っていた。
概要「ソビエト連邦の概要(英語版)」も参照

ソビエト連邦は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、二月革命により成立したロシア臨時政府を転覆した十月革命を起源とする。ボリシェヴィキは憲法で保障された世界初の社会主義国家であるロシア社会主義ソビエト共和国を樹立したが、十月革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの赤軍と、白軍に代表される反ボリシェヴィキの諸勢力との間で行われるロシア内戦へと発展した。

ボリシェヴィキを脅威と見る協商国による干渉を受けつつも、赤軍は1920年までに内戦での勝利を決定的なものとし、十月革命後ロシア共和国からの分離独立を果たしていた諸地域(ウクライナなど)を1921年までに占領して、各地にボリシェヴィキが支配するソビエト共和国を樹立した[1][2]。ボリシェヴィキは旧ロシア帝国領の再統合を企図し、1922年12月30日にロシア、ウクライナザカフカース白ロシア(ベラルーシ)の4つのソビエト共和国から成るソビエト連邦(以下ソ連)を成立させた[1][2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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