ソニー
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また、製品すべてに「SONY」のマークを入れることにした[28]。「SONY」以外に考えられたブランド名には、東京通信工業の頭文字である「TTK」や、略称である東通工のローマ字表記「Totsuko」、また東京通信工業を英訳した「Tokyo Teletec」などがあった。しかし、「TTK」は東洋陶器(現・TOTO)やTTKグループ(英語版)が略称あるいは商標として用いていた事から、候補から外れた。「Totsuko」は、盛田がアメリカに出張した際、当時のアメリカ支社の社員が発音に苦労しており、英語話者にとって発音が難しいことが分かったため、候補から外れた。「Teletec」については、同じ名のブランドを持つ企業がアメリカにあることが分かり、断念した[29][30]

1957年(昭和32年)のトランジスタラジオ「TR-63」は、輸出機として大成功をおさめた[31]
SONYに社名変更

1958年(昭和33年)1月に東京通信工業株式会社からソニー株式会社に改称[31]。改称にあたっては、主要取引銀行である三井銀行から、すでに東京通信工業が日本国内で知名度を得ていることや、ソニー単独では何の会社か分からないことから、反対の意見が出た。銀行は、「Sony」にどういった会社なのかを示すために「Sony Electronic Industries」や「Sony Teletech」などの社名を提案した。

また社内でも、東京通信工業という社名に愛着を持っている一部の社員たちは、社名変更に反対した[30]。しかし、盛田たちは「Tokyo Tsushin Kogyo」では世界的な認知度を得ることは難しいと考えており、また社名に「Electronic」などの電機関係の言葉をつけることについても「ソニーが将来、エレクトロニクスの会社であるとは限らない」という趣旨を伝え、「ソニー」の社名を押し切った[32]

同年、東京証券取引所市場第一部に上場を果たした[33]。すでに東京通信工業傘下の国内販売会社は、この前年に「ソニー商事」に社名を変更していた。この販売会社の社名変更に大きな混乱はなく、むしろ認知度は上がり、業績が伸びていたことも銀行への説得材料となった[30]。1954年5月、仙台工場(現・仙台テクノロジーセンター、宮城県多賀城市)を設立。
1960年代

1960年(昭和35年)には、米国に現地法人を設置し自ら販売活動を始め[26]、翌1961年(昭和36年)には日本企業として初めて株式の米国預託証券 (ADR) 発行が日本政府から認められた[34]。また1960年にはスイスに法人を設置してヨーロッパの販売代理店の統括を行うが、1968年(昭和43年)にソニーUKを設置したのを皮切りに国ごとに現地法人を設置していく[35]。1960年(昭和35年)11月に、ソニー厚木工場(現・厚木テクノロジーセンター)開設[36]

トランジスタの研究開発と応用を進め[37]、1959年(昭和34年)に世界初の直視型ポータブル・トランジスタテレビを発売するが売れず[37][38]。1961年(昭和36年)には世界初のビデオテープレコーダー(以下、VTR)[注 1]「SV-201」を開発[39]、1967年(同42)にはトランジスタ電卓を発売した[39]。1964年(昭和39年)には世界初の家庭用オールトランジスタVTR[注 2] を発表する[40][41]。その一方で放送用音響機器事業からは一度撤退する[42]

カラーテレビの開発では出遅れ、良好な画質のカラーテレビを目指して1961年(昭和36年)にクロマトロンの開発に取り組むが量産に至らず、1967年(昭和42年)にトリニトロンカラーテレビの開発に成功した[43]

この時期はエレクトロニクス製品以外の事業にも進出。1961年(昭和36年)にはショールームの建設のため不動産管理会社ソニー企業を設立[40]。1968年(昭和43年)には米国のCBSと合弁でレコード会社CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント〈SMEJ〉)を設立し、1988年には米国コロムビア・レコードを買収した[44]
1970年代各種Walkman。右上から時計回りに、カセットウォークマン、MDウォークマン、メモリースティックウォークマン、CDウォークマン。

1970年代は家庭用VTRの普及をめざし、1970年(昭和45年)に松下電器産業日本ビクターなどと共同してビデオカセット規格「U規格」を立ち上げる。1971年(昭和46年)に対応製品「Uマチック」を発売するが成功せず、1975年(昭和50年)に小型化・低価格化を図ったビデオカセット規格「ベータマックス」を発売する[41]。ベータマックスは日本ビクターが開発した家庭用VTRビデオカセット規格「VHS」と、家電業界を二分する激しい規格争いビデオ戦争)を繰り広げたが、結局1988年(昭和63年)にVHS機を並売する形で決着した[45]。一方でCCDを利用したカラーカメラとビデオカセットレコーダーを組み合わせた製品(いわゆるカムコーダ)の開発に取り組み、規格統一を図り1985年(昭和60年)に8ミリビデオとして発表した[45]

業務用VTRではテレビ放送局用の「Uマチック」を開発して放送用機材事業に再参入し、放送局のフィルム取材からビデオ取材[注 3] への移行を促した[42]。ベータマックスをベースに開発された1981年の「ベータカム」はENG市場の95%を占めるスタンダードとなった[46]。VTRのデジタル化、コンピュータ化にも取り組み、1980年代後半から対応製品の販売を始めた[46]

オーディオ製品においては1960年代からフィリップス社のコンパクトカセット規格のテープレコーダーの製造・販売を行っていたが、若者向け製品としてヘッドフォンで音楽を聴く形式の携帯型カセットテーププレイヤー「ウォークマン」を1979年に発売[47]。1995年度に生産累計が1億5,000万台に達した[47]。日本国立科学博物館重要科学技術史資料として登録された際には「音楽リスニングを大きく変えた」と評価されている[48]

1975年(昭和50年)には米国のユニオンカーバイド社と合弁で電池事業を始めたが[注 4]、1986年(昭和61年)にユニオンカーバイド社の経営難から合弁を解消し、単独で事業を継続。電池の研究開発を始めリチウムイオン電池を開発、1990年(平成2年)に製品化を発表した[49]

1979年(昭和54年)にはソニー・プルデンシャル生命保険を設立[44] し保険事業に参入した。
1980年代

オーディオのデジタル化にも取り組み、フィリップス社と共同してCDを開発[50]、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からのソフトとディスク生産体制の提供を受け1982年(昭和57年)に発売した[51]


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