ソニー
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.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}井深大(左)と盛田昭夫(右)

1945年(昭和20年)9月、東京での新会社創設のため、井深大が、太刀川正三郎、樋口晃などの仲間とともに疎開先の長野県須坂から上京[16]

同年10月、井深らが東京・日本橋白木屋3階の一室に「東京通信研究所」を立ち上げる。参加した20名のうち[17]、主なメンバーは、以前に井深が設立に関与し、技術担当重役も務めていた日本測定器の若い社員7名であった[18]。この小さな研究所兼工場が、現在のソニーを生み出す母体となった[19]

のちに朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が、戦時中に井深と親交のあった盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流する[16]
東京通信工業として創業

1946年(昭和21年)、井深、盛田、太刀川などを中心に東京通信工業株式会社(とうきょうつうしんこうぎょう、略:東通工〈とうつうこう〉、: Tokyo Telecommunications Engineering Corporation)として創業[20][21][22][16]。創業当初は真空管電圧計の製造、販売を行っていた[16]。資本金19万円で、井深の義父である前田多門(終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田が取締役(営業担当)、太刀川が取締役(経理財務担当)、増谷麟が監査役、社員30名弱[17]。東通工の設立趣意書には

「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ

自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」

と記されている[23]
日本初のテープレコーダー

1950年(昭和25年)には日本初のテープレコーダー(当時はテープコーダーと呼称[24])を開発[25]。この頃にテープレコーダーの音質にクレームをつけにきた大賀典雄が合流している。オランダフィリップス社のような大会社を目指して輸出に注力する方針を立てた[26]東通工は、トランジスタの自社生産に乗り出し[27]、1955年(昭和30年)、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した[28]

また、製品すべてに「SONY」のマークを入れることにした[28]。「SONY」以外に考えられたブランド名には、東京通信工業の頭文字である「TTK」や、略称である東通工のローマ字表記「Totsuko」、また東京通信工業を英訳した「Tokyo Teletec」などがあった。しかし、「TTK」は東洋陶器(現・TOTO)やTTKグループ(英語版)が略称あるいは商標として用いていた事から、候補から外れた。「Totsuko」は、盛田がアメリカに出張した際、当時のアメリカ支社の社員が発音に苦労しており、英語話者にとって発音が難しいことが分かったため、候補から外れた。「Teletec」については、同じ名のブランドを持つ企業がアメリカにあることが分かり、断念した[29][30]


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