ソニー・ミュージックエンタテインメント_(日本)
資本金720百万円。出資比率は50:50で、日本における資本自由化措置後第1号の合弁会社であった。創業当初から、当時最新鋭のレコード・カッティング・マシーンであるノイマン社のSX-68を導入し、レコードのカッティング及び生産を開始。
4月1日 - 本社を東京都港区に移転。
8月21日 - 第1回新譜を発売(サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」(規格品番:SONG 80002)ほか)
9月5日 - 邦楽の制作を開始(第1回新譜は、フォーリーブス「オリビアの調べ」(規格品番:SONA 15001)・アダムス「旧約聖書」(規格品番:SONA 12002)の2作)
11月 - 静岡県志太郡大井川町(現:焼津市)に静岡工場(現:ソニー・ミュージックソリューションズ大井川プロダクションセンター)を竣工。 なお、静岡工場が操業するまでの間、日本ビクター(現:JVCケンウッド)へレコード盤のプレスを委託していた。
1969年(昭和44年)
2月 - 第1回LPを発売(サイモン&ガーファンクルの映画サントラ盤『卒業』ほか)
12月 - カセットテープソフト生産開始。
1971年(昭和46年)7月 - 新レーベル「EPIC」発足。
1973年(昭和48年)8月 - 株式会社シービーエス・ソニーと商号変更。本社を東京都新宿区(SME市ヶ谷ビル)に移転。
1974年(昭和49年)8月 - 静岡工場をCBS・ソニーレコード株式会社として分離。
1975年(昭和50年)3月 - CBS・ソニーとワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)の共同出資でジャパン・レコード配送(後のジャレード、現:ソニー・ミュージックソリューションズ)を設立。
1977年(昭和52年) - ソニー社製PCMプロセッサーPAU-1602[注釈 2]と3/4インチUマチックVTRを使って、世界初の16ビットによるPCMデジタル録音を行う(盛田昭夫コレクションによるピアノ・ロールによる録音)。
1978年(昭和53年)
1月1日 - ソニー社製PCMプロセッサーPCM-1600[注釈 3]を導入、運用開始。
5月 - ビデオソフト発売開始。
8月 - 全額出資にて株式会社EPIC・ソニーを設立。
9月 - 東京都新宿区に信濃町スタジオを完成、運用開始。
1979年(昭和54年)
1月1日 - 音の良い高品質レコード「マスターサウンド」シリーズを発売開始。
2月1日 - ソニー社製24チャンネルマルチPCMデジタルレコーダー、PCM-3224[注釈 4]を使った世界初の24ch、16ビットによるデジタルマルチ録音を荒川区民会館にて行う(グリーグ作曲「ピアノ協奏曲イ短調」中村紘子(ピアノ)、大町陽一郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団)。尚、この録音の編集作業(於:同社信濃町スタジオ)から、ソニー社製の世界初の本格的デジタル音声編集機(DAE-1000)の使用を世界で初めて開始する。
1980年(昭和55年)? - 後に於けるCDの発売も考慮して、ソニー社製PCMプロセッサーPCM-1610[注釈 5]を導入、運用開始。
1981年(昭和56年)8月 - SD事業部新設、アーティストの発掘・育成を強化。
1982年(昭和57年)
4月 - コンパクト・ディスク・ソフトの生産開始。
月目不明 - ソニー社製24チャンネルマルチPCMデジタルレコーダー、PCM-3324[注釈 6]を導入、運用開始。
10月1日 - 世界初のコンパクト・ディスク・ソフトを発売(ビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』ほか初回全50タイトル)[注釈 7]。
1983年(昭和58年)8月 - 株式会社シービーエス・ソニーグループと商号変更。又、企画制作部門を、株式会社CBS・ソニーとして分離。
1984年(昭和59年) - 自社制作の録音が、原則として全てPCMデジタル録音となる。
1986年 - ソニー社製PCMプロセッサーPCM-1630[注釈 8]を導入、運用開始。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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