ソウル特別市
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シンクタンクの発表する世界都市ランキングでは『世界7位の都市』、森記念財団都市戦略研究所の発表する世界の都市総合力ランキングでは『世界7位の都市』と評価されるなど、経済都市としての国際的重要性も大きい[7][8]1988年にはアジアで2番目となる夏季オリンピック開催地となった。

市長は呉世勲[3]
歴史上の名称
漢陽・漢城、およびソウルの語の歴史的経緯

「漢陽(かんよう[9]、?? ハニャン)」は新羅の時代から使われた地名で、「陽」がの北側を意味することから「漢水(漢江)の北側の土地」の意味で命名された。その後、高麗初期に「楊州」と改められ、文宗の治世に副首都との意味を込めた「南京」とされ、国王の代理である「留守」が設置された。忠烈王の治世の1308年には「漢陽(漢陽府)」の名称に復帰したが、朝鮮建国後の1395年漢城府(かんじょう[10]、?? ハンソン)」に改称された。朝鮮王朝の首都になったため「みやこ」を意味する固有語である「??(ソウル)」と呼ばれた。なおこの「??」の語源については、新羅の古い国号である徐羅伐・徐伐にまで遡る。訓民正音創製直後の中期朝鮮語に「みやこ」を意味する固有語として見られる「.mw-parser-output .jamocomposed_block{font-family:"????? LVT","HCR Dotum LVT","????? LVT","HCR Batang LVT","???","Source Han Sans K","??? KR","Source Han Sans KR","源ノ角ゴシック","Source Han Sans","思源K體","Source Han Sans TC","思源K體 香港","Source Han Sans HC","思源K体","Source Han Sans SC","???","Source Han Serif K","??? KR","Source Han Serif KR","源ノ明朝","Source Han Serif","思源宋體","Source Han Serif TC","思源宋體 香港","Source Han Serif HC","思源宋体","Source Han Serif SC","Noto Sans CJK KR","Noto Sans KR","Noto Sans CJK TC","Noto Sans CJK HC","Noto Sans CJK SC","Noto Sans CJK JP","Noto Serif CJK KR","Noto Serif KR","Noto Serif CJK TC","Noto Serif CJK SC","Noto Serif CJK JP","?????? ???","NanumBarunGothic YetHangul","???? ???","NanumMyeongjo YetHangul","? ??","Un Batang","?? ???","Dotum Old Hangul","?? ???","Batang Old Hangul","?? ???","NewGulim Old Hangul","?? ???","Gungsuh Old Hangul","?? ??","Malgun Gothic","?????","HCR Dotum","?????","HCR Batang"}.mw-parser-output .oldhanyang{font-family:"???","New Batang","????","Haansoft Batang","???","New Gungsuh","???","New Gulim","???","New Dotum","????","Haansoft Dotum","?????","Naver Dictionary"}????(ショブル。「?」は現在では用いられていない古ハングルの字母の一つで、唇軽音[β]を表した)」いう語はこの徐羅伐・徐伐の音韻変化によるものであり、これが更に音韻変化を起こして「??」と呼ばれるようになった。漢陽などの漢字表記は朝鮮語の訓の当て字としてそれらをソウルと読んでいた。現代の韓国で使われる朝鮮語では漢字の音読以外はほとんどハングルだけで表記しており、漢字表記も使われなくなった。

ちなみに、中国台湾などの中国語圏では「ソウル」に相当する漢字表記が無く、長らくソウルは「漢城」と呼ばれてきた。仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記して「漢城」と表記されていた。なお、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。
京城

京城」(日本語読みで「けいじょう」 〈字音仮名遣では「けいじやう」〉、朝鮮語読みで「??(キョンソン)」)は、日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)10月1日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった[11](「府」は日本内地〈本土〉でいうところの「市」に相当)。実際には第二次世界大戦終戦の1945年以降も数年間使われており、また現在においても京釜線の「京」や、京紡(旧京城紡織)といった企業名等にその名残がみられる。
ソウルの中国語表記

現在、中国語圏ではソウルを「首爾(首爾 / 首?)」(.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Sh?u'?r、広東語:Sau2yi5)と呼称・表記している。

中国語圏で「ソウル」は、長らく朝鮮王朝時代の「漢城(漢城 / ?城)」(?音: Hancheng、広東語:Hon3sing4)の名で呼ばれていた。2005年1月19日李明博ソウル特別市長(当時)は記者会見で、「ソウル」の中国語表記を原音に近づけるとともに、「首都」の意味も含ませた「首爾(首爾 / 首?)」とすることを発表した[12][13]

これを受けて、台湾と香港報道機関は表記を「首爾」に改めた。中国でも、2005年中頃から中国青年報などの報道機関や中国南方航空などの航空会社で「?城」から「首?」へと表記を改め始め、10月には中国政府も「首?」表記への変更を行った[14]

なお、まれに朝鮮語の漢字と組み合わせて使われる例もあるが(例:KORAILの案内における「首爾驛」など)、あくまでソウルの漢字表記は中国語圏用のものであり、朝鮮語としてのソウル表記はこれまでどおりハングルのみの「??」である。
歴史詳細は「ソウルの歴史(英語版、朝鮮語版)」を参照景福宮

古くは百済の都・漢城が置かれており、隣接する河南市にある遺跡からは多くの遺物が出土している。西暦475年高句麗軍によって陥落すると、百済は熊津(公州)に遷都し、統一新羅時代には漢山州と呼ばれ、757年には漢州の漢陽郡に改められた(中原京が小京として漢州の下に設けられた)。高麗時代には市域の北部は楊州、南部は広州と呼ばれ、1067年には三小京のひとつである南京が置かれた。1392年高麗の将軍・李成桂が威化島回軍によって政権を奪取し、1394年には開京(現在の開城)から漢陽遷都を決行した。翌1395年に漢陽府は漢城府に改称され、これ以後、漢城(ソウル)は500年に渡って朝鮮王朝の都となる。1894年から97年にかけて朝鮮を4度訪問したイザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』に「ソウルの種々」という一章をもうけ、当時のソウルの様子を活写した。大韓帝国末期の時点では市内が5部49坊に細分化されていた。1905年統監府が設置される。

1910年韓国併合後、漢城府は京城府に改められ(この場合の府は内地(日本本土)では市に相当する)、日本の朝鮮統治機関である朝鮮総督府が置かれた。その後都市化の進行に伴い、1936年には周辺地域を併合して府域を4倍に拡大し、1943年には人口急増のため区制が導入されている(7区=龍山区東大門区城東区西大門区永登浦区鍾路区中区。なお、翌1944年に周辺を併合し麻浦区誕生)。朝鮮総督府の支配下で現在の景福宮光化門・ソウル市庁舎近辺は政治・行政の中心、現在の明洞近辺は経済・商業の中心、龍山は軍事の中心(旧日本軍駐屯地は現在の在韓米軍基地)となった。また京畿道の道庁所在地でもあった(現在京畿道庁は水原市に移転している)。1931年には朝鮮排華事件華僑との衝突事件が起きた。旧ソウル市旗

1945年8月15日の「光復」(第二次世界大戦終戦)後しばらくの間は、「ソウル」・「漢城」とともに「京城」の名称も使われていた。1945年9月から発行された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁公報の場合、英語版では一貫して「Seoul」だけが使用されているが、日本語版には「京城」と「ソウウル」が混在、朝鮮語版でも「京城」と「??」が混在する(「ソウウル」・「??」の初出は10月8日)。その後、分割占領がはじまり米軍軍政下の1946年8月15日に「ソウル市憲章」が発表され、その第1章第1条で「京城府をソウル市と称し、特別自由市とする。」と正式に規定された。しかし、この憲章には法的効力がなかったため、同年9月18日に米軍政庁法令第106号「ソウル特別市の設置」が公布され、その第2条で「ソウル市を朝鮮の首都としての特別市とする。


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