1950年6月に勃発した朝鮮戦争で市内は破壊され、釜山が臨時首都とされた。朝鮮戦争は戦況が一進一退を繰り返したことから、このときのソウルは4回も陥落している。停戦実現後1953年8月1日にソウルへ還都している。その後、韓国の高度経済成長とともに復興、発展を続けて市域を拡大、1988年ソウルオリンピック(韓国では88=パルパル=オリンピックということも)で名実ともに国際都市となった。
ソウル市庁舎は日本統治時代(1926年)のものを使っていたが、隣接して新庁舎が建設され、2012年8月27日に完成した。従来の庁舎は改修され、同年10月26日にソウル図書館(朝鮮語版)としてオープンした。
市内の昌徳宮や宗廟、朝鮮王陵は世界遺産に登録されている。
年表
1945年8月15日(8区) - 光復。
1946年(8区)
8月15日 - 京城府がソウル市に改称。
9月28日 - 京畿道ソウル市がソウル特別自由市に昇格。
10月9日 - 市内の町を洞に、丁目を街に、通を路に改称。
1949年(9区)
8月13日
京畿道高陽郡崇仁面および東大門区の一部が合併し、城北区が発足。
京畿道高陽郡纛島面が城東区に編入。
京畿道高陽郡恩平面が西大門区に編入。
京畿道始興郡東面の一部が永登浦区に編入。
8月15日 - ソウル特別自由市がソウル特別市に改称。
1950年-1953年
朝鮮戦争のため一時的に釜山(プサン)を臨時首都とした後ソウルへ還都。
1963年1月1日(9区)
京畿道楊州郡蘆海面が城北区に編入。
京畿道楊州郡九里面の一部が東大門区に編入。
京畿道広州郡九川面・彦州面・中垈面および大旺面の一部が城東区に編入。
京畿道金浦郡陽東面・陽西面、富川郡吾丁面・素砂邑の各一部、始興郡新東面および東面の一部が永登浦区に編入。
1973年7月1日(11区)
京畿道高陽郡神道面の一部が西大門区に編入。
城北区の一部を分離し、道峰区が発足。
永登浦区の一部を分離し、冠岳区が発足。
1975年10月1日(12区) - 城東区の一部を分離し、江南区が発足。
1977年10月1日(13区) - 永登浦区の一部を分離し、江西区が発足。
1979年10月1日(15区)
江南区の一部を分離し、江東区が発足。
西大門区の一部を分離し、恩平区が発足。
1980年7月1日(17区)
冠岳区の一部を分離し、銅雀区が発足。
永登浦区の一部を分離し、九老区が発足。
1988年1月1日(22区)
江東区の一部を分離し、松坡区が発足。
東大門区の一部を分離し、中浪区が発足。
道峰区の一部を分離し、蘆原区が発足。
江南区の一部を分離し、瑞草区が発足。
江西区の一部を分離し、陽川区が発足。
1995年3月1日(25区)
城東区の一部を分離し、広津区が発足。
道峰区の一部を分離し、江北区が発足。
九老区の一部に京畿道光明市の一部を編入させ、衿川区が発足。
朝鮮王朝時代の南大門通り
朝鮮王朝時代の漢城
日本統治時代の京城府内の鍾路
日本統治時代の三越百貨店京城店と朝鮮貯蓄銀行
日本統治時代の南大門通り
地理漢江
最高峰北漢山をはじめとした500m前後の標高の山々や丘陵が囲む盆地構造。外敵からの攻撃を妨げやすい地形であることもこの地が古くから発展した理由の一つである。広州山脈の道峰山、仁寿峰、露積峰の3峰が北漢山に次ぐ標高である。
漢江が市の中心を横切るように流れ、南北に隔てられた地域をそれぞれ江南、江北と呼ぶ。古くから発達したのは江北であり、宮殿や城壁などの史跡は江北に集中している。一方江南は新興住宅街として開発され、またオリンピック関連施設も江南に多く建設された。古くは舟が南北を繋ぐ交通手段であり、トゥクソムと麻浦が代表的な河港であった。他に鷺梁、松坡なども船着場として知られ名残を残している。近代以降は各所に橋梁が架けられ、交通手段としての船は廃れたが、遊覧船が市民や観光客に親しまれる。