ソウルオリンピック
[Wikipedia|▼Menu]
一時、分断国家である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が共催を積極的に働きかけ、社会主義の国々もこれを支持していたが、最終的に合意に至らず、このことが大韓航空機爆破事件の遠因となった(後述)。

なお、ソウルオリンピックに参加しなかったのは、北朝鮮に加え、キューバアルバニアセーシェルエチオピアニカラグアマダガスカルの7ヶ国のみである[2]

ソウルオリンピックの2年前には、ソウルアジア競技大会がプレ大会として開催された。
開催地選考

ソウルオリンピックの開催は1981年9月30日西ドイツ(当時)のバーデン=バーデンで開かれた第84次国際オリンピック委員会総会で決定された。日本の名古屋市も開催を求めて立候補し、当初は名古屋優勢との見方が強かったが27対52でソウルに敗れた。名古屋市の招致活動については名古屋オリンピック構想も参考のこと。

1988年夏季五輪開催地投票都市国第1ラウンド
ソウル 韓国52
名古屋 日本27

北朝鮮との共同開催案
協議まで

開催地がソウルに決定した2か月後の1981年11月27日朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、ニューデリーで開催されたアジア競技連盟評議会にに出席した北朝鮮代表が『個人的見解』としつつも「現時点での参加は無理だ」と、不参加の方向性を表明した[3]

1982年初頭、韓国の全斗煥大統領は南北の平和攻勢を打ち出し、その一つが「南北体育会談」であり、具体的には北の同胞の五輪参観招待などであった[3]。同年4月、国際オリンピック委員会(IOC)のフアン・アントニオ・サマランチ会長が韓国側に「北朝鮮が参加準備をしている」と発言し、11月には(韓国の)ソウル五輪組織委員長が北朝鮮を含むIOC加盟国の招請と南北統一チーム結成を呼び掛けていることを明らかにした[3]

1984年3月30日、北朝鮮オリンピック委員会から大韓オリンピック委員会に対し、同年夏に開催予定のロサンゼルス五輪以降「南北統一チーム」を結成・参加する提案があった[3]。韓国側は、過去の経緯[注釈 1]から即答を回避した[3]4月2日、韓国側は前1983年10月のラングーン事件を非難しつつも、北朝鮮側の提案を検討するための「南北体育会談」開催を提案した[4]
第1回南北体育会談(1984年4月9日)

1984年4月9日、板門店中立国監視委員会会議室において、南北それぞれのオリンピック委員会の幹部が参加した[5]。しかし、韓国側がラングーン事件に加え、女優崔銀姫と元夫で映画監督の申相玉の拉致事件[注釈 2]に言及したことで、南北代表間での非難応酬により次回日程も未定なまま決裂した[5]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:115 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef