なお、ソウルオリンピックに参加しなかったのは、北朝鮮に加え、キューバ、アルバニア、セーシェル、エチオピア、ニカラグア、マダガスカルの7ヶ国のみである[2]。
ソウルオリンピックの2年前には、ソウルアジア競技大会がプレ大会として開催された。 ソウルオリンピックの開催は1981年9月30日、西ドイツ(当時)のバーデン=バーデンで開かれた第84次国際オリンピック委員会総会で決定された。日本の名古屋市も開催を求めて立候補し、当初は名古屋優勢との見方が強かったが27対52でソウルに敗れた。名古屋市の招致活動については名古屋オリンピック構想も参考のこと。 1988年夏季五輪開催地投票都市国第1ラウンド 開催地がソウルに決定した2か月後の1981年11月27日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、ニューデリーで開催されたアジア競技連盟
開催地選考
ソウル 韓国52
名古屋 日本27
北朝鮮との共同開催案
協議まで
1984年3月30日、北朝鮮オリンピック委員会から大韓オリンピック委員会に対し、同年夏に開催予定のロサンゼルス五輪以降「南北統一チーム」を結成・参加する提案があった[3]。韓国側は、過去の経緯[注釈 1]から即答を回避した[3]。4月2日、韓国側は前1983年10月のラングーン事件を非難しつつも、北朝鮮側の提案を検討するための「南北体育会談」開催を提案した[4]。 1984年4月9日、板門店の中立国監視委員会会議室において、南北それぞれのオリンピック委員会の幹部が参加した[5]。しかし、韓国側がラングーン事件に加え、女優崔銀姫と元夫で映画監督の申相玉の拉致事件[注釈 2]に言及したことで、南北代表間での非難応酬により次回日程も未定なまま決裂した[5]。
第1回南北体育会談(1984年4月9日)