セーラー服と機関銃_(映画)
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脚本を非常に気に入った薬師丸が角川春樹を説得、予想外に早くOKの返事が来て、キティ・フィルムと角川春樹事務所が提携して映画を製作することになった[13][12]

問題は提携の具体的中身だったが、本音では角川とは組みたくなく、特に製作だけは絶対に譲りたくなかった伊地智の思惑通り、製作は完全にキティ、宣伝は角川が担当するという分担になった[14][注 2]。角川側は金を半分出しているだけで、映画の製作過程や出来上がった作品について文句をつけることはなかった[14]
タイトル・版権

伊地智が映画化交渉のために赤川宅を初訪問した際、カタカナを含む映画タイトルを配給会社が嫌うため、タイトルを『セーラー服と機関銃』から変更するかもしれないと赤川に断りを入れている[13]

原作の『セーラー服と機関銃』の版権主婦と生活社が持っていたため、角川書店の薬師丸を他社原作の映画に出演させるのかという問題があったが、主婦と生活社には、発行部数の定価の3%を3年間支払う契約を交わし、原作者の赤川次郎には、初版を100万部刷ることと、光文社の『三毛猫ホームズ』シリーズも全巻角川文庫で出すことを提示して了承を得られたので[15]、1981年10月に角川文庫化することで解決した[16]。このような事情のためか、映画には角川書店と並んで主婦と生活社もクレジットされている[16]

文庫化された『セーラー服と機関銃』は約2か月で100万部を突破した[17]。赤川次郎にとって初めてのミリオンセラーになった[18]
主人公のモデル

赤川次郎の原作の中で、主人公の星泉は、小柄で均整のとれた体、愛くるしい顔立ちではあるが真一文字に結んだ唇と意思の強い光を伴う大きな目が可愛いと言われることを拒否していると形容されている[19]

赤川が『セーラー服と機関銃』を執筆直後にも薬師丸主演で映像化の話は存在したが、中学3年の薬師丸と高校生の星泉では大きく異なるため計画は中止になっていた[19]。赤川も薬師丸で映画化されると良いと思っていたが、それが原作発表から3年後に現実のものとなった[19]。〔1981年時点では〕薬師丸を想定して小説を書いたと言われても仕方ないと発言し[19]、2013年の記事では薬師丸を想定して『セーラー服と機関銃』を執筆したと断言している[17]
衣装・小道具

衣装の制服は本物の制服。何回も衣装合わせをしたが監督の気に入ったものがない状態の時、薬師丸が学校帰りに自分の学校(八潮高校)のセーラー服[20]を着たまま撮影所に行くと、その姿を見た監督がそれを気に入り採用となった。撮影用として経費で学校の制服を丸々1着新調してもらえる事となった薬師丸は、当時「学校に着て行ける制服が増えて嬉しい」と素直に思ったという[21]。映画公開後も薬師丸は、そのセーラー服姿で山手線を使って通学していた[22]

クライマックスシーンで薬師丸が撃った銃はM3グリースガンである。当作の撮影にあたっては、1977年までハドソン産業で製造されていた軟鋼板プレス製のモデルガンを改造したものと、 MGC製のモデルガンを改造したもの、2種類が使われた。どちらも電気発火式プロップガンで、発射時に空薬莢は排出されず発砲炎だけが再現される構造となっていた。前者のハドソン改造品は中盤で佐久間が奪って使用するシーンで用いられ、後者のMGC改造品はクライマックスシーンで用いられている。

どちらのプロップガンも本編のほかポスターや宣伝用スチル写真でも使われており、MGC改造のものは発火装置を仕込んだ関係上実物と比べフレームが延長されており、銃身部の根本と弾倉の間が長いことで区別できる。
配給変更

当初、東宝の正月映画第2弾1月15日公開の予定だったが、角川春樹が配給を東宝から東映に変更し、東映の正月映画となった[12]。東宝の正月映画はたのきんトリオの『グッドラックLOVE[注 3]

薬師丸の前作は東宝配給の『ねらわれた学園』だったが、併映の『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』のみ1本立て興行を行ったり、当初、東宝の宣伝費が『ブルージーンズメモリー』に8割、『ねらわれた学園』に2割という不平等な扱いだったため、立腹した角川春樹事務所が次作の『セーラー服と機関銃』の配給を東宝から東映に変更した[23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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