セント・ポール大聖堂
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17世紀に荒廃した旧セント・ポール大聖堂の再建計画の気運が高まり、イニゴ・ジョーンズクリストファー・レンゴシック様式イタリア・バロックを折衷した再建案をまとめていた[3]。しかし、再建案が実現する前に1666年ロンドン大火によって、旧セント・ポール大聖堂は完全に焼失してしまった。

その後、国王チャールズ2世の勅命により、1675年から35年の歳月をかけて建築されたのが現大聖堂である。設計はクリストファー・レンで[4][3]、大ドーム及び西側正面にある2つの塔の特徴を持ち、寸法は長さ157m、幅74m、高さ111mである。バロック様式の傑作といわれている。

中央ドームの 「ささやき回廊」と呼ばれるドーム回廊のフレスコ画はジェームズ・ソーンヒルが描いた。内陣の装飾や木造彫刻はグリンリング・ギボンズの作品。

大聖堂の西正門ファサードは入口に2層柱廊を設け、下層はコリント式、上層はコンポジット式オーダーを採用。柱廊上部のペディメント内は聖パウロがダマスクスで伝道する光景のレリーフ、ペディメントの頂には聖パウロの彫像がある。大聖堂西正門前にはセント・ポール大聖堂の再建当時の君主、アン女王の銅像がある。

1930年代に、歴史的ランドマークであるセント・ポール大聖堂の視覚的独立性を保持するために、シティ内での建物の高さを制限する「セント・ポール・ハイト」と呼ばれる建築基準が定められ、その後に新造される建築物は、高さのみならず建築意匠もセント・ポール大聖堂の景観を損ねないように配慮されている[5]

1941年第二次世界大戦下、ドイツ軍による空爆の際に大聖堂も甚大な損壊を受けたが、当時の首相ウィンストン・チャーチルが「セント・ポールは、まだ建っているかね」と尋ねた言葉は有名である。
教会、観光スポット、式典舞台2008年のイギリス軍の式典

大聖堂には毎日5回の礼拝が行なわれ、特別の聖日にはその回数がさらに多くなる。

礼拝以外、大聖堂見学には入場料が必要となった。大聖堂の床から85メートルの高さにあるドーム上の塔の付け根部分まで階段で上がることができ、そこからロンドン市内を一望することが可能である。

ウェストミンスター寺院が「イギリス王室の菩提寺」とたとえられるのに対して、セント・ポール大聖堂は「市民の大聖堂」として古くからロンドン市民に親しまれてきた。セント・ポール大聖堂は英国が関わった二度の世界大戦の勝利を祝賀する式典の場とされてきた。古くはエリザベス1世女王による無敵艦隊撃滅記念式典がある。20世紀に入って王室との繋がりはますます強くなり、また、荘厳な伝統行事は次々と加えられ、国家的、国民的象徴としての重みはますます強くなっていった。

1965年1月30日ウィンストン・チャーチル元首相の葬儀エリザベス2世女王臨席のもと、セント・ポール大聖堂にて行われた。

1981年7月29日チャールズ3世(当時皇太子)およびダイアナ妃の結婚式が行われた。

2001年9月14日アメリカ同時多発テロ事件の犠牲者を追悼する式典が行われた。

2013年4月17日マーガレット・サッチャー首相葬儀。エリザベス2世女王およびエディンバラ公フィリップ王配参列。

クリプト

聖堂地下室の納骨堂には、セント・ポール大聖堂の再建者であるクリストファー・レンの墓、アレクサンダー・フレミングジョン・エヴァレット・ミレージョン・ダンといった著名人が眠る。


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