セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャ
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地理北からアセンション島セントヘレナトリスタンダクーニャ
位置・広がり

アフリカ大陸南アメリカ大陸のほぼ中間、南大西洋のただ中に、北から順にアセンション島セントヘレナ島トリスタンダクーニャが点在している。このうちトリスタンダクーニャは、本島(トリスタンダクーニャ島)のほか、ナイチンゲール諸島ゴフ島など複数の島で構成されているが、有人島はトリスタンダクーニャ島のみである。

領土最北端のアセンション島南緯7度56分、最南端のゴフ島南緯40度19分に位置しており、南北の広がりは 3,642 km にも及ぶ。アセンション島はセントヘレナ島の北西約 1,300 km、トリスタンダクーニャ島はセントヘレナ島の南西 2,430 km という位置関係にある。

セントヘレナ島やトリスタンダクーニャ島は、大陸との距離が 2,000 km 以上ある。この領土の中ではもっとも大陸に近い島はアセンション島であるが、アフリカ大陸の間は 1,600 km ある。トリスタンダクーニャ島にとって人が定住する最も近い場所はセントヘレナ島で、「世界一孤立した有人島」としてギネスブックに掲載されている。

セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャの領海は12海里(22 km)、排他的経済水域(EEZ)は200海里(370 km)である。他の国や地域の排他的経済水域に接することがないばかりか、セントヘレナ島、アセンション島、トリスタンダクーニャ諸島の排他的経済水域もそれぞれ接することはない。排他的経済水域の面積は1,641,294 km2 に及び、これはイギリス本国および海外領土の中では最大、世界の国と地域の中でもポルトガル・フィリピンに次ぐ広さである(21位相当)。現在、この領土や領海をめぐる国際紛争はない。
地勢

この領土を構成する島々は、いずれも大西洋中央海嶺が海上に達したものであり、火山島である。ただし、歴史上で火山活動が記録されているのはトリスタンダクーニャ島のみである。

最大の島はセントヘレナ島(122 km2)で、トリスタン・クーニャ島(98 km2)がこれに次ぐ。最高峰はトリスタンダクーニャ島のクィーン・メアリー・ピーク(2,062 m)。いずれの島も山がちな地形であり、人の居住に適した場所は限られる。
気候

アセンション島は熱帯の湿潤な気候である。セントヘレナ島は穏やかな気候であり、トリスタンダクーニャ島はより冷涼な気候である。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

トリスタンダクーニャ島。後方はクィーン・メアリー・ピーク。

アセンション島と中心地区ジョージタウン。

歴史1790年頃のセントヘレナ島・ジェームズタウンを描いた絵。

この領土を構成する3つの区域は、いずれも大航海時代の16世紀初頭にポルトガル人によって発見された。帆船航海の時代、大西洋の中央部に位置する島々は、新鮮な水や食料、木材の補給基地として重要な役割を果たしていた。

セントヘレナは、1502年に発見された。ポルトガル・イギリス・オランダなどによって争奪されたのち、1657年以降はイギリス東インド会社によって経営されるようになり、1661年の特許状により会社領となった。この島には、1815年から1821年までナポレオン1世が幽閉されたことで知られている。1883年8月28日にイギリスの王領植民地となった。

アセンション島は、1501年に発見された。島は長らく打ち棄てられていたが、1815年10月22日にイギリス海軍の基地となった。これは、フランス人たちがセントヘレナ島に幽閉されたナポレオンの奪回を図るための基地とすることを警戒したためである。

トリスタンダクーニャは、1506年に発見された。アメリカ人が定住を図ったこともあるが、1816年8月14日にケープ植民地の属領に編入された。これも、ナポレオン奪回対策のためで、島には短期間ながらイギリス陸軍が駐留した。

3つの区域はそれぞれ別個の植民地として歩んできたが、1922年9月12日にアセンション島が、1938年1月12日にトリスタンダクーニャがセントヘレナの属領となった。

2009年9月1日、新憲法によって2つの属領の地位はセントヘレナと同等に引き上げられた。これにともない、海外領土の名称も「セントヘレナおよび属領」から「セントヘレナ・アセンションおよびトリスタン・ダ・クーニャ」に変更された。
政治アセンション島行政庁舎

元首はイギリス国王であり、セントヘレナ総督(Governor of Saint Helena)がその代理を務める。領土の名称は2009年よりセントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャと名前が変わったものの、役職名については引き続き単に「セントヘレナ総督」のままである。セントヘレナに赴任した総督は、アセンション島とトリスタンダクーニャに総督代理として行政官(Administrator)を派遣する。

憲法は3章に分かれており、各章で3地域それぞれについて記しているが、いずれの章にも基本的人権と個人の自由が記されている。

セントヘレナには立法評議会(Legislative Council)があり、アセンション島とトリスタンダクーニャにはそれぞれ島評議会(Island Council)がある。


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