日本語の表記は、セントビンセント及びグレナディーン諸島(外務省の紹介[4])、セントビンセント・グレナディーン。前半部はセントヴィンセント、後半部は英語の発声に準じたグレナディーンズとも表記されることがある[5]。日本語における国名の漢字表記はほぼ使用されていない。略称はセントビンセントが広く使用されており、在外公館は「在セントビンセント日本国大使館」と呼ばれている[6]。また英語の頭文字から取ったSVGもあるが、画像形式のScalable Vector Graphicsと混同される可能性がある。
歴史詳細は「セントビンセント・グレナディーンの歴史」を参照
1498年 - クリストファー・コロンブスが来航。
1762年 - イギリスが入植。
1763年 - イギリスの植民地となる。
1779年 - フランスの植民地となる。
1783年 - パリ条約により再びイギリスの植民地に戻る。
1795年 - 先住民のカリブ族がイギリス人に対して反乱を起こす。しかし失敗して追放され(多くはベリーズに強制移住させられた)、大勢のアフリカ黒人が残った。
1969年 - 内政自治権を獲得しイギリス自治領となる。
1972年 - ジェームズ・フィッツ=アレン・ミッチェル(英語版)首相、人民党 (PPP) とセントビンセント労働党 (SVLP) の間でバランスを取る。
1974年 - PPPとSVLP連立。
1975年 - ミッチェル首相が新民主党 (NDP) を創設。
1979年 - 10月に連立指導者のミルトン・カトーによりイギリスから独立。
1989年 - 総選挙。ミッチェル首相率いる新民主党 (NDP) が全議席を獲得。
1994年 - 総選挙でセントビンセント労働党と国家統一運動との連合 (SVLP-MNU) が計5議席を得る。
政治.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。
イギリス連邦内の一国であり、国家元首はイギリス国王(女王)である。イギリス国王の代理として総督が置かれているが、象徴的な役割に留まっている。行政権は首相及び内閣の元にある。議会は一院制。選出議員15名、選任議員6名。計21名。
セントビンセント・グレナディーンは米州ボリバル同盟 (ALBA) に加盟しており、また中華民国(台湾)を承認している。
国家安全保障詳細は「セントビンセント・グレナディーンの軍事」を参照
正規の国防軍を持たず、王立セントビンセント・グレナディーン警察隊とセントビンセント・グレナディーン沿岸警備隊があるのみである。
1996年3月、OECS6か国及びバルバドスの7ヵ国の間で地域安全保障システムを設置した。
1984年、ジェームズ・フィッツ=アレン・ミッチェル(英語版)が首相に就任した。アメリカ、イギリス、及び東カリブ海諸国による合同軍事演習に不参加の態度を取るなど、独自の路線を歩んでいる。
地方行政区分セントビンセント・グレナディーンの行政教区詳細は「セントビンセント・グレナディーンの行政区画」を参照
6の行政教区からなり、その内、セントビンセント島は5行政教区で、グレナディーン諸島は1行政教区である。 スフリエール山 - しばしば大規模な噴火活動を見せる火山(直近の噴火は2021年)[7]。1,234mのセントビンセント・グレナディーンの最高峰。ついで、リッチモンド山 本島の南に連なる、ヤング島 リッチモンド川
シャーロット (Charlotte)
セント・アンドリュー (Saint Andrew)
セント・デイヴィッド (Saint David)
セント・ジョージ (Saint George)
セント・パトリック (Saint Patrick)
グレナディーン (Grenadines)
主要都市詳細は「セントビンセント・グレナディーンの都市の一覧」を参照
キングスタウン。首都。
ジョージタウン
ファンシー
シャトーブレール
地理が望まれています。
セントビンセント・グレナディーンの地図。
山岳
島
河川
経済が望まれています。
観光業とバナナ生産が経済の中心。また、セントビンセント島はアロールートの世界最大の生産国でもある。
漁業も盛んで、グレナディーン諸島では原住民捕鯨の名目で少数の島民が鯨の捕獲をしているが、商業捕鯨は議論中の問題である。 同国の経済は、特に輸入について国外市場に強く依存している。貿易依存度は55.4%(輸入、2003年)に達する。一方、輸出については10.5%に留まる。このような構造は、輸出3800万ドルに対し、輸入が2.0億ドルに達するためだ。アメリカ合衆国の保養地という位置付けから観光収入が多く(7400万ドル)、外国投資、海外援助と合わせて貿易赤字を補っている。 輸出に占める食料品の比率は7割を超える。次いで1/4を占める工業製品だ。品目別では、バナナ (33.1%)、穀物 (20.7%) が主力。
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