セントキッツ・ネイビス
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セントクリストファー・ネイビス連邦(セントクリストファー・ネイビスれんぽう)、またはセントキッツ・ネイビス連邦は、西インド諸島小アンティル諸島内のリーワード諸島にあるセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2つの島からなる、英連邦王国の一国を形成する立憲君主制連邦国家島国であり、海を隔てて北西にイギリス領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西にイギリス領モントセラトが存在する。首都はバセテール

英連邦王国およびイギリス連邦加盟国。面積と人口は共に南北中アメリカにおいて一番小さく、ミニ国家のひとつに数えられる。独立年も一番新しく、2021年現在で英連邦王国の最後の加盟国である。
国名

正式名称は Federation of Saint Christopher and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・クリストファー・アンド・ニィヴィス)。しかし現在では Federation of Saint Kitts and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・キッツ・アンド・ニィヴィス)と呼ぶことの方が多くなっている。セントクリストファー・ネイビスの外務省は、どちらも正式名称であるとの立場をとっている。通称は Saint Kitts and Nevis( 発音)が一般的で、St. Kitts & Nevisと表記されることも多い。

日本語では、セントクリストファー・ネイビスが最も一般的な表記である。だが、外務省が編集協力する『世界の国一覧表 2007年版』(世界の動き社)ではセントキッツ・ネービスと表記されている。文部科学省の教科書検定では、首都名は世界の動き社の『世界の国一覧表』に倣うことと指導されているため、検定教科書(社会科・地理歴史科)や地図帳ではセントキッツ・ネービスと表記されている(ただし『世界の国一覧表』が2007年版を最後に廃刊になったため今後の方針は不明、世界史の教科書ではそれほど検定基準が厳格に運用されてはいない)。ネイビスは、ネビス、ネービス、ネイヴィス、ネーヴィスとも表記されている。更に、日本国外務省は、法令上「セントクリストファー・ネーヴィス」としていたものを、2019年2月12日に閣議決定し、国会に提出した法案[3]で、こちらの方が国民に広く通用しているとの理由から、「セントクリストファー・ネービス」に変更するとした[4]

ふたつある島の大きい方がセントクリストファー島クリストファー・コロンブスが自身の名の由来でもある聖クリストフォルスの名をこの島に付けた。その英語形がセイントクリストファーだが、クリストファーという人名の短縮形がキッツなので、セイントキッツとも呼ばれるようになった。島民は Kittian キティシャンと呼ばれる。

小さい方がネイビス島。コロンブスらがこの島を発見した時、島の最高峰の頂上が白雲に覆われている様子を見て山頂に雪が積もっていると勘違いしたことから、スペイン語で雪を意味するニエベス (Nieves) と命名された。その英語形がニィヴィスである。島民は Nevisian ニビシアンと呼ばれている。
歴史

1493年11月12日 クリストファー・コロンブスらによってセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島が「発見」された。

1623年 サー・トーマス・ワーナー、セントクリストファー島に到着する。

1624年 サー・トーマスがイギリスの入植者一団を連れてセントクリストファー島へ初めて永続的入植をする。

1625年 フランスのピエール・ブランもフランスから入植者を引き連れて島に入植。

1626年 イギリスとフランスの入植者との関係が悪化。先住民のカリブ族(カリナゴ族)は、セントクリストファー島のブラディー・ポイントでイギリスとフランスの入植者によって大虐殺され、生き残った者は島から追われる。

1627年 イギリス人入植者とフランス入植者との条約によりセントクリストファー島の中部がイギリス、北部と南部がフランスと分割される。

1628年 セントクリストファー島のイギリス入植者たちがネイビス島へ入植。

1629年 スペインがセントクリストファー島へ侵攻するが、すぐに島から去っていった。

1664年 この年からイギリスとフランスとの間で島の争奪戦争が起こる。

1671年 セントクリストファー島とネイビス島はイギリスの知事下でイギリス領リーワード諸島の一部になり、アンティグア島モントセラトも加わる。

1713年 ユトレヒト条約によりフランス人入植者はイギリス人入植者の領土の主張を認め、セントクリストファー島は完全にイギリス領となる。
ブリムストーン・ヒル要塞の戦い(1782年)。

1782年 フランスが再び島を襲うが、1783年ヴェルサイユ条約によりイギリスへ島を返還。

1861年 セントクリストファー島、ネイビス島、アンギラ島と、さらにイギリス領ヴァージン諸島は一つの植民地として1871年まで管理される。

1882年 セントクリストファー・ネイビス・アンギラはリーワード諸島連邦内でプレジデンシー (presidency) として確立される。

1932年 セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP。現在のセントキッツ・ネイビス労働党)が独立運動を行う。

1958年 イギリス領西インド連邦に加盟。

1956年 セントクリストファー島とネイビス島とアンギラ島はセントクリストファー=ネイビス=アンギラとなり、別々のイギリスの植民地となる。


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