セルビア共和国(セルビアきょうわこく)、通称セルビアは、東南ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家。首都はベオグラード。北にハンガリー、北東にルーマニア、南東にブルガリア、西にボスニア・ヘルツェゴビナ、南にコソボ、北マケドニア、南西にモンテネグロと国境を接している。また、同国のヴォイヴォディナ自治州部は西にクロアチアが接している。 セルビアは、かつて存在したユーゴスラビアに属していた地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国家であった。 首都であるベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年に前身のセルビア・モンテネグロが解体されるまで一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い、独立宣言を行なった。 なお、同国内のコソボ・メトヒヤ自治州が現在、コソボ共和国として事実上独立状態にある。 現在のセルビアの領土は旧石器時代から継続的に人間が住んでいたことが確認されており、6世紀にはスラブ人が同国地域へ移住し出していたことが判明している。 中世初期、同地域にはビザンティン帝国、フランク王国、ハンガリー王国の属国として認識されるいくつかの地域国家が成立されていた。セルビア王国は1217年にローマ教皇庁とコンスタンティノープルによって承認され、1346年にセルビア帝国として領土の頂点に達した。16世紀半ばまでに、オスマン帝国は現在のセルビア全体を併合した。彼らの支配は、17世紀末からヴォイヴォディナに足場を保ちながら中央セルビアに向かって拡大し始めたハプスブルク帝国によって時々中断
概要
19世紀初頭、セルビア地域の革命は、この地域で最初の立憲君主国として国民国家を確立するものとなり、セルビア国家は後にその領域を拡大することとなる[6]。1918年、第一次世界大戦の余波で、セルビア帝国はヴォイヴォディナの旧ハプスブルク家の王冠領(英語版)と統合。同年後半には、他の南スラブ諸国とともにユーゴスラビアの建国に加わり、1990年代のユーゴスラビア戦争まで様々な政治体制で存在した。ユーゴスラビアの崩壊中、セルビアは隣国モンテネグロと連合を結び『セルビア・モンテネグロ』となるが[7]、2006年に平和的な解体がなされ、1918年以来初めて主権国家としての独立を回復した[8]。
2008年、アルバニア系が多数を占めるコソボ議会の代表が一方的にセルビアからの独立を宣言。2016年7月現在、113の国連加盟国が独立国家としてコソボを承認している[9]が、セルビアは一貫してコソボを自国領の一部であると主張している。コソボ北部にはセルビア人が多数を占める街もあり、度々紛争の火種となっている。
コソボ紛争でNATOに空爆されたことや、コソボを巡っての対立などもあり、国民感情・政治ともに反米欧的な傾向にある。民族や文化が近いロシアは伝統的な友好国であり、中国とも友好的な関係である[10]。
セルビアは高中所得国であり、国民皆保険と無料の初等中等教育を国民へ提供している。人間開発指数の分野においては「非常に高い」とランク付けされている。また同国は軍事的中立政策を公式に堅持している国家となっている。2014年以来、同国は2030年までに欧州連合(EU)への加盟を実現させることを目標としており、これまでEU加盟の交渉を幾度に亘って行なって来ている[11]。
なお、セルビアは国際連合(UN)、欧州評議会(CoE)、欧州安全保障協力機構(OSCE)、平和のためのパートナーシップ(PfP)、黒海経済協力機構(BSEC)、中欧自由貿易協定(CEFTA)のメンバーであり、世界貿易機関(WTO)の加盟国の一つともなっている。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)には加盟していない。 セルビア語では「Република Срби?а / Republika Srbija」([rep?blika s??bija]
国名
歴史
中世・近世・近代詳細は「セルビアの歴史」を参照