セラム
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これは、直立二足歩行をするようになったことで母体の産道がせまくなり、脳の大きな個体を生むことが難しくなっていることに対応したものと考えられている[23]。アファール猿人の成体の脳は大きいものでも530ccほどで、まだ脳が大型化しているとはいえないが、セラムによって、その時点ですでに脳の成長遅滞が認められることが明らかになったのである[23]

成長が遅い分、赤子は長い期間にわたって母親に掴まっていなければならないが、自分で母体にしがみつけるチンパンジーと異なり、アファール猿人は母親に抱えてもらっていたと推測されている[2][23]。直立二足歩行で両手を使えるようになった母親は、子供を抱えることができるようになった代わりに自分で餌をとることができず、それが社会性を育んだ可能性も指摘されている[2]。また、地面に置いた子供をあやす必要から、言語が発達したという仮説もある[2]
顔面

セラムには顔の骨も残されており、顔が前に突き出していることや鼻が低いことなど、原始的な要素を備えている[2]。他方で、眉の部分が比較的隆起していないことや犬歯が小さめであることなどから、サルの骨と区別することができる。セラムの発見も、地表に露出していた頭骨からそれらの特色が読み取れたことによって導かれたものである[2]

また、アウストラロピテクス属の中でA.アフリカヌスではなくA.アファレンシスと確定した根拠として、A.アフリカヌスと比べた場合の鼻骨の小ささと狭さなどが挙げられている[24][17]
内耳

セラムの頭骨はCTスキャンにかけられた。この分析は、アディスアベバには適切な機器がなかったため、文化観光省の許可を得た上で、ケニアナイロビに移送されて行われた[17]

それによってセラムの内耳三半規管も分析され、それは現代人よりも類人猿のものに近いとされた。三半規管は平衡感覚に影響するため、アファール猿人は現代人のように機敏な歩行は難しかったと推測された[4][25]
舌骨

セラムには現代のゴリラなどに似た舌骨も残っていた[26][8]。舌骨は頭蓋骨に固着していないことから、古い化石人骨で残っていることはほとんどない。全身骨格の40%が残っているといわれたルーシーや、66%が残っているトゥルカナ・ボーイにも舌骨は残っておらず[26]、従来の最古記録はイスラエルで発見されたネアンデルタール人骨(約6万年前)であった[26][27]。そのネアンデルタールの舌骨は現代人のものと酷似していたが[26]、それよりも古いホミニンでの構造は不明だった[8]

発見者のアレムゼゲドは、彼女の発声はチンパンジーの鳴き声のようなものだったのではないかと推測している[28]。舌骨はかつてその個体の言語能力を推測する要素とされていたが、それについては否定的な見解も出されている[26]。ただ、いずれにしても、舌骨が残っていることは、セラムの保存状態の良さを示す傍証といえる[26]
上半身

上半身の骨格は比較的良好に保存されており、肋骨脊柱に沿っており、生前のままのようだった[2]。それらは全体的に類人猿との共通性が認められる。

残っていた部位で特筆すべきは完全な肩甲骨が残っていたことで、これはアウストラロピテクス属としては初めてだった。それはゴリラのものに似ており[2][4]、指の長さはチンパンジーに似ていた。これらの特色からは、まだ樹上で枝をつかむことに適していたと判断された[2]

ただし、この事実をどう評価するかについては、二通りに分かれる。一つは、発見者やジョハンソンの立場で、それらの骨格的特長を樹上での生活も行なっていたことの証拠と見るものである。もうひとつはオーウェン・ラヴジョイ (Owen Lovejoy) らのように、直立二足歩行と関係のない原始的特質が残り続けていただけで、それをもって樹上で生活していたとはいえないとするものである[29]

後者の論者の中には、肩甲骨がゴリラに似ているとする解釈自体に異論を唱えるものもいる。それによれば、肩甲棘(肩甲骨の突起部分)の両側にある筋肉がつく窪み部分の面積比は、ゴリラよりもヒトに近いのだという[24]

なお、これに関連する点として2011年には、土踏まずの発見を基に、アファール猿人は地上生活に完全に移行していたとする研究も発表された[30]
下半身

骨盤股関節のあたりは残っていない。ただし、大腿骨脛骨などは大部分保存されており、エンドウ豆マカデミアナッツに喩えられるような小さなものではあるが膝蓋骨も見られる[31]。ほかにも、の部分の幅広さや[24]、膝から腰にかけての大腿骨の傾き[32]など、ほかにもヒトに近いとされる特徴は指摘されている。このように下半身は、類人猿に近い上半身と対照的に、現代人のものに近い特徴を示している[2][18]。そのため、直立二足歩行が可能だった。
評価

残りにくい幼児人骨のうち、突出して古く保存状態も良かった。前述のように、この点を評価する論者は存在しており、日本の新聞で最初に報じられたときにも注目に値する点として、幼児人骨の残りにくさとセラムの完全さを対比する指摘がなされた[13]

発見者であるアレムゼゲド自身は、『ナショナルジオグラフィック』において、「一生に一度の大発見です」とコメントしている[33]。また、1974年に最も有名なアファール猿人「ルーシー」を発見したドナルド・ジョハンソン (Donald Johanson) は、2006年の公表直後に「ルーシーを20世紀最大の発見とすると」「この子はこれまでのところ、21世紀で最大の発見だ」と評した[34]

身体的特質を進化の段階とどう結びつけるのかは、上述の通り論者によって差異がある。しかし、どう評価するにせよ、キメラ的ともモザイク的とも評される上半身の原始性と下半身の先進性のギャップによって、身体部位ごとに進化の時期が違っていたことが顕著に確認できるという点では、専門家たちも一致している[35]

ただし、唯一の幼児全身骨格ということは、比較が不可能ということでもある。そのため、新たな個体の発見を待たねば、それがアファール猿人の典型的幼児か分からないという指摘も存在する[36]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「アレムゼゲド」は河合 (2010) での表記。スローン (2006) では「ゼラセナイ・アレムサゲド」、ウォン (2007) では「アレムサゲド」となっている。
^ ジョハンソンらは、類似の愛称として Lucy's Child, Lucy's Daughter, Little Lucy なども挙げている (Johanson & Wong (2010) p.139)。
^ この記事は翌年2月にフランスの科学誌『プール・ラ・シヤンス』 (Pour la Science) でも訳出された。
^ 頭骨だけならば、いわゆるタウング・チャイルド (Taung Child) も3歳くらいと推測されている(河合 (2010) p.98)。また、少年の骨格ならばトゥルカナ・ボーイ(9歳くらい、153万年前)など、複数の例がある。
^ 「最初の家族」は、1975年に少なくとも13個体分がまとまって見付かったアファール猿人の化石群の通称(河合 (2010) p.44)。

出典^ a b 河合 (2010) p.53
^ a b c d e f g h i j k l m n o p特集 : 初期人類の少女の化石発見(ナショナルジオグラフィック日本版)(2011年8月25日閲覧)


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