セミョーン・チモシェンコ
[Wikipedia|▼Menu]
同年10月、北西戦線司令官に転任。その後、総司令部議長として各戦線間の行動の調整に当たった(1943年3月-6月:レニングラードヴォルホフ戦線。1943年6月-11月:北カフカーズ戦線と黒海艦隊。1944年2月-6月:第2と第3沿バルト戦線。1944年8月-終戦:第2・第3・第4ウクライナ戦線)。
戦後

終戦後、バラノヴィチ軍管区司令官。1946年から1949年まで南ウラル軍管区司令官。チモシェンコは白ロシア軍管区を自分の第2の故郷と考えており、1949年に同管区の司令官に返り咲いた。また、ソ連共産党中央委員会委員、ソ連最高会議代議員として、白ロシアの経済問題の解決を助力した。

1960年4月、定年により国防省監察総監に編入。1961年から1969年までソビエト古参兵士委員会議長。1970年、死去。遺体は赤の広場クレムリンの壁墓所に埋葬された。
表彰・受勲

第18回党大会(1939年)で中央委員、第19回(1952年)以降は中央委員候補に選出された。

ソ連邦英雄(2度)。勝利勲章レーニン勲章5個、十月革命勲章、赤旗勲章5個、一等スヴォーロフ勲章3個等を受賞。チモシェンコの功績を称えるために、化学防護軍事アカデミー、対潜艦に彼の名前が付けられた。白ロシア軍管区本部庁舎には彼の記念碑が立てられた。モスクワにはチモシェンコ通りが存在する。故郷のフルマノフカ村には銅像が立てられた。
人物

趣味は乗馬、狩猟、読書。

先代
クリメント・ヴォロシーロフソ連国防人民委員(国防相)
1939年 - 1941年次代
ヨシフ・スターリン

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

国立図書館

チリ

スペイン

フランス

BnF data

ドイツ

アメリカ

チェコ

オランダ

ポーランド

ロシア

人物

ドイッチェ・ビオグラフィー

その他

公文書館(アメリカ)

SNAC

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef