2007年8月、スーペルコパ・デ・エスパーニャでリーグ王者のレアル・マドリードに勝利した。ホームでの1stレグはL・ファビアーノの得点を守りきって1-0で勝利し、アウェーでの2ndレグではレナトの2得点、カヌーテの3得点で5-3と乱打戦を制した。2試合合計6-3で勝利し、2005-06シーズン以来5個目のタイトルを獲得した。8月25日、リーグ開幕戦のヘタフェCF戦の試合中にプエルタが意識を失って倒れた。DFイヴィツァ・ドラグティノヴィッチやパロップ、メディカルスタッフが駆け寄り、プエルタが舌を詰まらせないようにすると、彼は息を吹き返して途中交代した。しかしその後、控室で再び倒れて病院に運ばれたが、3日後の28日に帰らぬ人となった。8月31日のUEFAスーパーカップではセビージャFC、ACミランの選手すべてがプエルタの顔をデザインしたシャツを着てプエルタの死を忍んだ。この試合はACミランが3-1で勝利したが[18]、悲しみに耐えるセビージャFCを尊重してACミランの選手たちはゴール後も歓声を上げず、ACミランの勝利はプエルタに捧げられた。セビージャFCはプエルタの背番号16番を永久欠番にする予定だったが、スペインサッカー連盟 (REEF) の規則で1から25までの背番号は登録選手に割り当てなければならなかったことから、プエルタの親友であったダビド・プリエトが背番号16番を受け継いだ。2007-08シーズンのすべてのリーグ戦で試合前に1分間の黙祷をささげ、すべてのホーム戦では背番号と同じ16分に拍手が捧げられた[19][20]。2009-10シーズンよりディエゴ・カペルが背番号16を受け継ぎ、2011-12シーズンはホセ・カンパーニャが着けている。
10月26日にはファンデ・ラモス監督が突然辞任し、3600万ユーロという高額の報酬でイングランドのトッテナム・ホットスパーFCに引き抜かれた。フィットネスコーチのマルコス・アルバレスも辞任し、リザーブチームのセビージャ・アトレティコを率いていたマヌエル・ヒメネスがトップチームの監督に就任した[21]。 2009-10シーズンのコパ・デル・レイではラウンド16でFCバルセロナ(2-2、アウェイゴールの差で勝利)、準々決勝でデポルティーボ・ラ・コルーニャ(3-1)、準決勝でヘタフェCF (2-1) を破って決勝に進出した。アトレティコ・マドリードとの対戦となった決勝はMFディエゴ・カペルとMFヘスス・ナバスの得点で2-0で勝利し、3シーズンぶり5度目の優勝を飾った。ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるFCバルセロナは2008-09シーズンにコパ・デル・レイ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成し、2009-10シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップの2冠を達成しており、グアルディオラ就任後初めてタイトルを獲得できなかったのがセビージャFCに敗れたコパ・デル・レイであった。 2010年8月にはスーペルコパ・デ・エスパーニャでFCバルセロナと対戦した。1stレグは3-1で勝利したが、2ndレグは0-4で敗れ、2度目のスーペルコパ制覇はならなかった。 2013年夏にはステファーヌ・エムビアやマルコ・マリンなどをレンタルで獲得した。UEFAヨーロッパリーグでは、予選3回戦から決勝まで勝ち上がった。その決勝では、SLベンフィカをPK戦で破り、7年ぶりの欧州タイトルを獲得した。 FCバルセロナへと移籍したイヴァン・ラキティッチの後釜としてグジェゴシュ・クリホビアクを獲得したのを皮切りに、他にもエベル・バネガ、アレイクス・ビダル、ジェラール・デウロフェウ、デニス・スアレスらを獲得した。
2009-10シーズン
2010-11シーズン
2013-14シーズン
2014-15シーズン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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