セゾングループ
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当時、『資本論』的な資本主義がコモディティ化によって古くなり、技術のイノベーションやコピーライトなどの知的な要素、デザインの美といったものが入らない限り、商品は売れなくなっていった時代だった[4]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}: ──百貨店から先端の文化・情報を発信、客はまるでディズニーランドを回遊するように、渋谷に点在するギャラリー劇場を巡って知的好奇心を満たす。快適なアメニティロボットニューメディアがバックアップしつつ、活動主体はあくまで人間本位。優れた文化を生む自由な社風と、互いに束縛を受けない緩やかな企業連鎖。重複事業までも認め、競合することが逆に発展的効果を促す──[要出典]

こうした数量的ではなく「文学的」経営ビジョンは「感性経営」と呼ばれ話題となった。高度経済成長が一巡し、国民が物質的豊かさを享受するとともに政治的無関心が出現し始めた1970年代は、何か目新しいコンセプト、カルチャーやエンタテインメント性こそが欲望され、タイミングとして絶妙だった。こうして文化全般をポストモダン的に展開するセゾン系独特の手法は、1980年代にパルコ系「アクロス」誌が提唱した「新人類」の台頭によって支えられ、先鋭的ブランドイメージを築いた。

西武百貨店では、池袋本店は全国のモデル店として「文化」を軸に実験的な改装を重ね、また他方では、渋谷西武や渋谷パルコなどで先行開発した渋谷エリアが若者の街として急浮上し、磐石な二極体制ができあがった。池袋本店では最大規模の売上を稼ぎ出しつつ、若者文化の情報発信源と化した渋谷からは、のちに「渋谷系」やストリート系女子高生文化といった数々の社会現象が生まれ、若者消費を牽引した。

しかし一連の急展開は、名門堤家の信用力をバックに付けた銀行融資に依存したものであり、あくなき投資で見かけ上の規模は膨張を続けるものの、利益率は著しく低いまま借金体質が続いた。
文化戦略

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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2008年11月)


中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2008年11月)


独自研究が含まれているおそれがあります。(2008年11月)


「文化の西武」を遺憾なく発揮させるには、広告から売場の末端に至るまで、外部に依存しない独自展開が必要だった。

1975年、セゾンの文化拠点として西武池袋本店に「セゾン美術館」(西武美術館)を併設。集客狙いの催事場の域を超え本格的な展示に挑み、現代アートを中心とした独自路線の展示を行った。さらに池袋店本館には数多くの文化スペースを設け、次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業は、それ自体がファッション商品であると位置づける。

1975年に大型書店の「リブロ」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態だった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「パルコ出版」や「リブロポート」、「トレヴィル」などを通じて、販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版した。

1979年には、アングラ系小劇場・ミニシアターの先駆けとなる「スタジオ200」、学校外から知識教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。

現在六本木ヒルズが建つ場所に在った「ウェイヴ」(ディスクポート西武、1983年)は、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。

西友はスーパーマーケット業界では劣勢だったため、上質な売場提案による差別化を検討。その一環で開発され1980年に発売したプライベートブランド無印良品」がヒットした。また脱チェーンストアとして、「西武」の名を冠し立地ごとにカスタマイズした西友独自の百貨店業態を模索した(のちのLIVIN)。

西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現:角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開した。これはのちにチケットセゾンを吸収し、誌面と連携した。

1982年、西武百貨店はテレンス・コンランとの提携による池袋西武「ハビタ館」より家具市場に参入。西友側では「DAIK(ダイク)」を展開し、モダンリビングのトレンドを先取りした。西武百貨店は家具専門のハビタ館の後継ともいうべく、1998年北欧インテリア専門店「イルムス」と業務提携し、翌1999年に池袋店にイルムス館として日本初導入、スカンジナビアモダンの流行に先鞭をつけた。

1984年映画配給シネセゾン」など、セゾングループの映画事業への進出は、旧態依然としていた映画業界の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。また、1987年には演劇の場として銀座セゾン劇場を開設した。

1984年には、倒産した大沢商会を傘下に収めたことで、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。[要説明]Loft


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