セゾングループ
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現在、一帯の管理、別荘販売及びロッジの運営等はそごう・西武の子会社(セブン&アイHDの孫会社)である八ヶ岳高原ロッジが担い、「西武・そごうの別荘地」と銘打たれている[48][18][13]
東京テアトル
戦後創業されたレジャー会社。1990年代に西洋環境開発の傘下に入る。のちセゾンから独立。セゾンファンデックスが第8位、パルコが第10位株主(2015年3月末現在)[49]
セゾン劇場
東京銀座の「銀座セゾン劇場」運営会社。西友子会社で1999年に閉館・会社を清算したが、翌2000年に当時セゾングループだった東京テアトルが事業継承し「ル テアトル銀座」として再出発した。2007年に「ル テアトル銀座 by PARCO」としてパルコに運営移管。2013年5月に営業終了。解体される。
ホテル西洋銀座
1987年開業。東京テアトルが事業継承。2013年5月に営業終了。解体される。
朝日工業
旧:朝日化学肥料が旧:日本ニッケル(解散)の鉄鋼部門を吸収合併してできた西武化学工業が前身(当時、西武鉄道グループの一員だった)。その後セゾングループから離れるなどして、現在は阪和興業三井物産等の商社各社、アサガミ、日本マタイ等の資本参加を受けて再生、JASDAQに株式上場を果たす。
朝日食品工業
上記会社と同じく旧:西武化学工業が前身。後に農芸・鉄鋼の両部門を朝日工業として企業分割、社名を改称。一時期は新潟県長岡市の清酒メーカー柏露酒造を系列に加え社長を派遣した。1972年に埼玉県行田市で西武流通グループの大豆食品事業会社「朝日食品」として創業[50]。1985年に西武化学工業に吸収合併され「朝日工業」と改称、1992年に大豆・小麦食品事業が分社化して「朝日食品工業」に改称[50]。長らくセゾングループの一員となっていたが、2004年に第一経営グループに収まった。しかし2009年同グループが経営破綻したため、ファミリーマート主導で再建・再編され、大豆・小麦製品製造販売の株式会社ジョイアス・フーズとなる[51]。2014年に大豆食品事業が分社化して韓国の食品メーカー「プルムウォン」(1981年創業、本社ソウル)に買収され、2016年に社名を株式会社アサヒコに変更(本社・さいたま市中央区)[52]。小麦製品部門は2016年1月29日、ジョイアス・フーズの日清製粉グループ本社が株式の65.1%を取得した上で同社名のまま連結子会社とされた[53][54]
公益財団法人セゾン文化財団
1987年7月、堤清二の私財によって設立。堤が死去するまで理事長を務めた。創造活動への支援、長期的視点に立った継続的な支援、資金のみではない複合的な支援を基本方針として活動を展開している[55]。1994年、優れた作品づくりのためには稽古場が必要であるとの若い芸術家の要望に応え、江東区森下スタジオを開設[56]2003年には企業メセナ協議会から「メセナ大賞2003 舞台芸術牽引賞」、2009年には米国のコロンビア大学日本文化センターからドナルド・キーン賞を授与される[57]。旧:セゾングループのセゾン投信、東京テアトル、パルコ、良品計画が法人賛助会員として支援[58]
セゾン美術館
1975年9月、堤清二の「時代精神の根拠地」宣言の下、西武美術館として開館。1989年セゾン美術館に改称。日本に世界の現代美術を紹介した。1992年には西武百貨店から西友の管轄となり[59]、同年、百貨店会長に就任し改革を断行した和田繁明の決断によって[60]、1999年閉館。
公益財団法人セゾン現代美術館
1962年、堤康次郎が収集した美術品の保存及び一般公開を目的に、東京都港区高輪の高輪プリンスホテル内に「高輪美術館」として開館。その後セゾングループによる現代美術コレクションが充実してきたことから、1981年に現代美術を収蔵する「軽井沢高輪美術館」が開館[61]、1991年に現在の名称に改称[62]
脚注[脚注の使い方]
^ ひとつの理由として、緑屋を傘下に納めて金融業に進出するにあたり、クレジットカードに西武の名があると系列外での使用に制約がかかるという事情もあった。(本注釈は、辻井喬『叙情と闘争 辻井喬+堤清二回顧録』<中公文庫>、Kindle版 位置No.2825-による)
^ 但し、1988年の優勝時は当時の昭和天皇が闘病中であったことに配慮し、優勝セールは行わなかった[3]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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