セシル・B・デミル
[Wikipedia|▼Menu]
既に映画界での名声を確かなものにしていたデミルは、監督以外でもビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(1950年)に本人役でカメオ出演し、その存在感を示している。この頃の監督作品である『地上最大のショウ』(1952年)では翌年の第25回アカデミー賞作品賞脚本賞を獲得し、監督賞にノミネートされた[5]。また1952年ゴールデングローブ賞を運営するHFPAは「エンタテインメント業界に多大なる貢献をした人物に与えられる、従来の部門やカテゴリーの枠を超越した永年功労賞」の新設を決め、ゴールデングローブ賞の中に、サイレント時代から斬新なアイデアでスペクタクル映画を製作し、映画界を先導してきたデミルの名を冠した「セシル・B・デミル賞」が設けられた[6]。映えある第1回受賞者はデミル自身である。

より多くの集客をめざし、大作映画に見せ物的要素を加えるなどの工夫をこらした。1956年、75歳にしてかつての自分の作品『十誡』(1923年)を新たに撮り直し、既に重篤な心臓発作に見舞われる中、執念で『十戒』を製作・監督。翌年の第29回アカデミー賞では作品賞にノミネートされ特殊効果賞を受賞している。
死去

1959年に心臓疾患のため死去。満77歳没。 カリフォルニア州ハリウッドのハリウッド共同墓地(Hollywood Forever Cemetery)に埋葬された。
政治思想と言動

第二次世界大戦後、アメリカや西側諸国を席巻した所謂「赤狩り」の中、デミルはそのシンパとして積極的に働き、ハリウッド・ブラックリストの作成にも大きく関与した。一方、同じく保守派、愛国主義者で知られる映画監督ジョン・フォードは、赤狩りの影響を受けなかったが、当時の戦後特有の反動的な風潮や、それに盲信的に迎合するデミルのこうした動きを忌み嫌った。

1950年全米監督協会で評議員の立場にあったデミルは「映画の撮影中に関係者全員の政治的傾向について何か気付いたり、知り得た場合は包み隠さず監督協会に報告する」との規定を設けるよう提案し、自分に反目する当時の会長ジョーゼフ・L・マンキーウィッツがたまたまヨーロッパ旅行中で不在だったのを見計らい、同調する協会員を懐柔するため画策し、これを通すとともに会長不信任案を提出。無論マンキーウィッツ側も黙っておらず、フレッド・ジンネマンジョージ・スティーヴンスらの支援を受け、デミル擁護派と真っ向対立し、同年10月22日に緊急総会が招集された。

深夜まで紛糾したこの席上、それまで態度を表明していなかったフォードが発言、「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員がデミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。」と挨拶した後、デミルを凝視しながら「だがデミルの発言と今夜の振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして早く家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影を控えているんだろう?」と名指しでデミルを非難。普段寡黙なフォードの一言は大きく影響し、マンキーウィッツの会長留任が採決され、デミルの提案は却下。協会評議員の地位を追われる結果となった[7]
フィルモグラフィ広告(1919)

スコウ・マン The Squaw Man(1914)監督・脚本・製作

農場の薔薇 Rose of the Rancho(1914)監督・原案・製作

カルメン Carmen(1915)監督・製作

チート The Cheat(1915)監督・製作

孤松の桟道 The Trail of the Lonesome Pine(1916)監督

マリア・ローザ Maria Rosa(1916)監督

ヂャンヌ・ダーク Joan the Woman(1917)監督

小米国人 The Little American(1917)監督

神に見離された女 The Woman God Forgot(1917)監督

悪魔石 The Devil-Stone(1917)監督

嘆きの合掌 The Whispering Chorus(1918)監督

醒めよ人妻 Old Wives for New(1918)監督

浮世の常 We Can't Have Everything(1918)監督

情熱の国 The Squaw Man(1918)監督

夫を変へる勿れ Don't Change Your Husband(1919)監督

連理の枝 For Better(1919)監督

男性と女性 Male and Female(1919)監督

何故妻を換へる? Why Change Your Wife?(1920)監督

人間苦 Something to Think About(1920)監督

禁断の果実 Forbidden Fruit(1921)監督・脚本・製作

アナトール The Affairs of Anatol(1921)監督

愚か者の楽園 Fool's Paradise(1921)監督

土曜日の夜 Saturday Night(1922)監督

屠殺者 Manslaughter(1922)監督

アダムス・リヴ Adam's Rib(1923)監督

十誡 The Ten Commandments(1923)監督

勝利者 Triumph(1924)監督

霊魂の叫び Feet of Clay(1924)監督

金色の寝床 The Golden Bed(1925)監督・製作

昨日への道 The Road to Yesterday(1925)監督

ヴォルガの船唄 The Volga Boatman(1926)監督

キング・オブ・キングス The King of Kings(1927)監督

破戒 The Godless Girl(1929)監督

ダイナマイト Dynamite(1929)監督

マダム・サタン Madam Satan(1930)監督

スコオ・マン The Squaw Man(1931)監督・製作

暴君ネロ The Sign of the Cross(1932)監督・製作

新世紀 This Day and Age(1933)監督

恐怖の四人 Four Frightened People(1934)監督

クレオパトラ Cleopatra(1934)監督

十字軍 The Crusades(1935)監督

平原児 The Plainsman(1936)監督・製作

海賊 The Buccaneer(1938)監督・製作

大平原 Union Pacific(1939)監督・製作

北西騎馬警官隊 North West Mounted Police(1940)監督・製作

絶海の嵐 Reap the Wild Wind(1942)監督・製作

軍医ワッセル大佐 The Story of Dr. Wassell(1944)監督・製作

征服されざる人々 Unconquered(1947)監督・製作

サムソンとデリラ Samson and Delilah(1949)監督・製作

地上最大のショウ The Greatest Show on Earth(1952)監督・製作

十戒 The Ten Commandments(1956)監督・製作

出演

サンセット大通り Sunset Boulevard(1950) - カメオ出演(本人役)

受賞とノミネート

賞年部門対象結果
アカデミー賞1949名誉賞それまでの37年間の功績に対して受賞
1952作品賞地上最大のショウ』受賞
監督賞ノミネート
アービング・G・タルバーグ賞受賞
1956作品賞『十戒』ノミネート
ゴールデングローブ賞1951セシル・B・デミル賞[6]:受賞
1952監督賞『地上最大のショウ』受賞

脚注^ “映画という存在の可能性を大きく広げた監督、パラマウント社のデミル王国”. Spotlight Japan. (2010年8月25日). ⇒オリジナルの2010年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100826083819/http://www.spotlight-news.net/news_bCrjgx0liw.html 2013年10月29日閲覧。 
^チート 淀川長治総監修世界クラシック名画選集、IVC


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef