セガ
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セガは2021年4月1日付でセガグループを吸収合併したと同時に、セガグループの子会社であったセガ・ロジスティクスサービスダーツライブ(子会社のハイブクリエーションや海外子会社も含む)、セガトイズ(子会社のSEGA TOYS (HK) CO., LTD.も含む)、トムス・エンタテインメントテレコム・アニメーションフィルムマーザ・アニメーションプラネットなどの国内子会社並びに海外子会社も含む)の4社はセガの子会社となった[19]。セガの子会社となった4社の内、セガトイズとトムス・エンタテインメントは2005年3月以来16年ぶりにセガの子会社となった他、セガ・ロジスティクスサービスとダーツライブは2015年3月以来6年ぶりにセガの子会社となった。同日には、セガが保有していたオアシスパーク全株式(54.3%)が中日本高速道路へ譲渡された[20]

新型コロナウイルスの影響を受け、セガサミーホールディングスはアミューズメント事業を中心に事業の縮小・撤退を進めている。欧米地域におけるアーケードゲームの販売を手掛けていたSega Amusements International Limitedの全株式は2021年3月30日付で、KAIZEN ENTERTAINMENT LIMITEDに譲渡されたと同時に、セガは欧米地域におけるアーケードゲーム販売事業から撤退した[21]。台湾の現地法人であるSEGA AMUSEMENTS TAIWAN LTD.が手掛けていたゲームセンター事業も、2021年12月1日付でセガも出資しているGENDA SEGA Entertainmentの子会社である台灣聚思怡股?有限公司(株式会社GSE台湾)へ譲渡された[22]。これにより、セガ直轄で手掛ける海外事業は、コンシューマ事業並びに現地の代理店へのアーケードゲームの供給のみとなった。2022年1月28日には、セガが保有していたGENDA SEGA Entertainment株式(14.9%)がGENDAへ譲渡されたと同時に、商号もGENDA GiGO Entertainmentへ変更された[23]。但し、GENDA GiGO Entertainmentに対するセガブランドの貸与は資本関係がなくなった後も当面継続する。セガは2022年4月11日に、GENDA GiGO Entertainmentが運営しているオンラインクレーンゲーム「GiGO ONLINE CRANE」(旧:「セガキャッチャーオンライン」→「GOTON!」)の代替として、「セガUFOキャッチャーオンライン」のサービスを開始した[24]。セガ製品情報サイトでは「セガUFOキャッチャーオンライン」はスマホゲーム並びにPC・家庭用ゲームとして取り扱う。アミューズメント機器事業は2024年4月1日付で株式会社セガ フェイブ(同日付でセガトイズから商号変更)へ吸収分割により再度移管されたと同時に、セガの子会社であったセガ・ロジスティクスサービスとダーツライブ(子会社のハイブクリエーションや海外子会社も含む)はセガ フェイブの子会社となった[25]。これによりセガは、2020年3月以来4年ぶりにコンシューマ事業に専念する事になった。

セガゲームス時代を含めた経営面においては、広告宣伝費の高騰などから2012年3月期から2016年3月期までの5期連続で7億7900万円 - 93億5800万円の営業赤字が[26]、最終決算においても貸倒引当金繰入や事業再編損などでセガ時代の2014年3月期から2016年3月期までの3期連続で34億500万円 - 102億100万円の最終赤字がそれぞれ続いていたが、2017年3月期は6期ぶりの営業黒字に、2017年3月期の最終決算においても4期ぶりの最終黒字となった。2018年3月期以降も、2019年3月期に最終赤字となった以外は黒字経営が続いている[注釈 5]
沿革

公式サイト[2]も参照。
サービスゲームズジャパン(1951年 - 1960年)

1951年 - レイモンド・レメーヤー、リチャード・スチュアートにより「サービスゲームズジャパン」として創業。

日本娯楽物産と機械製造(1960年 - 1965年)

1960年 - 「サービスゲームズジャパン」分社化。営業部門の「日本娯楽物産」(リチャード・スチュアート代表)と製造部門の「日本機械製造」(レイモンド・レメーヤー代表)とに分割・新設。国産初のジュークボックス『セガ1000』を開発。

1964年 - 日本娯楽物産、日本機械製造を吸収合併。アーケードゲーム事業に進出

セガ・エンタープライゼス(1965年 - 2000年)

1965年 - 「ローゼン・エンタープライゼス」と合併し、「株式会社セガ・エンタープライゼス」に商号変更。社長はデイヴィッド・ローゼン。アミューズメント施設事業に進出[27]

1966年 - アーケードゲーム『ペリスコープ』発売。

1969年 - アメリカのコングロマリット「ガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ(英語版)」の傘下に入る。

1971年 - 国産初のピンボールとなる『フリッパーピンボール』発売。

1972年 - 初のメダルゲーム専門店である『アポロベガス』(後の『セガワールド アポロ』)をあべのアポロに開業。

1973年 - アタリ『ポン』のコピーゲーム『ポントロン』を発売。タイトーの『エレポン』とほぼ同時に、日本初のテレビゲーム(会社)となる。

1978年 - アメリカのアーケードビデオゲーム会社「グレムリン・インダストリー」を買収。

1979年 - 「エスコ貿易」を買収。エスコ貿易社長の中山隼雄、代表取締役副社長に就任。ピンボールの製造・販売から撤退。

1983年 - 8ビット家庭用ゲーム機SG-1000を発売しコンシューマ事業に進出。8ビットパソコンSC-3000発売。日本初のレーザーディスクゲーム「アストロンベルト」発売。

1984年 - 8ビット家庭用ゲーム機SG-1000II発売。


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