セガ
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かつては家庭用ゲーム機事業、アーケードゲーム事業、ゲームセンターなどのアミューズメント施設事業も行っていた。

なお本項では株式会社セガ・エンタープライゼス、(初代)株式会社セガ、株式会社セガゲームスおよび(旧)株式会社セガネットワークスについても述べる。
歴史

セガは創業以来、分社・統合・再編を数度行っている[2]。本節ではその歴史および経営状況について記す。

1951年、レイモンド・ジェイ・レメーヤーとリチャード・ディ・スチュワートにより、ジュークボックスやスロットマシンの輸入会社として日本に「レメーヤー&スチュアート」が創業される。

その後1954年には「サービスゲームズ」と、1957年には「サービスゲームズジャパン株式会社」と改名する。1960年に「サービスゲームズジャパン株式会社」は分社され、機器販売と賃貸を行う「日本娯楽物産」と製造を行う「日本機械製造」という2社が設立される。

そして1965年に日本娯楽物産と「ローゼン・エンタープライゼス」が統合し、「セガ・エンタープライゼス」となる。これ以降社名に使用される「セガ」は、日本娯楽物産が1962年に発売して大ヒットした国産初のジュークボックス「セガ1000」にちなむ。なおこの「セガ」は日本娯楽物産の前身「サービスゲームズジャパン」の「SERVICE GAMES」に由来する。

1984年に大川功率いるCSKが、セガの親会社であったアメリカのガルフ&ウエスタン(過去にパラマウント映画スタックス・レコードなどを保有した、金融・不動産系コングロマリット)から株式を買収し、CSKグループ入りした。その後、バブル景気到来による娯楽の拡大から業績は堅調に推移し、キョクイチの買収など事業を拡大した。

1997年1月23日エニックス(現:スクウェア・エニックス)がPlayStation用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作発表を行った同日に、セガとバンダイは「1997年10月1日付でバンダイ(現在はナムコと経営統合し バンダイナムコホールディングスの一部)と合併し、新社名をセガバンダイとする」と発表したが後に合意を解消する[注釈 1]

セガバンダイの破談後、大川功CSK代表取締役会長がセガ代表取締役会長にも就任(兼任)したことで実効的に経営参画し、CSKとセガ、アスキー(後のメディアリーヴス)、大川功個人の4者間で株式の持ち合いを強化した。また、1998年に中興の祖であった中山隼雄代表取締役社長が退任し、後任には本田技研工業出身の入交昭一郎副社長が昇格した。

1998年11月に社運を賭けて発売したドリームキャストがPlayStationの牙城を崩すことはできず売上不振が続いた事で、2000年3月期まで3期連続で約350-430億円の赤字を計上する[注釈 2]。1999年に海外でも発売し好調な売れ行きを見せたが、PlayStation 2の登場により2000年後半以降全世界で売上が失速する。

1999年5月27日、自社ソフトを他社の携帯ゲーム機に提供するためのライセンシー契約を結ぶ方針を決定した。対象ハードは「ゲームボーイカラー」「ワンダースワン」「ネオジオポケット」の3機種[3]

2000年6月に入交昭一郎代表取締役社長が同副社長に降格、秋元康が社外取締役を退任し、大川功会長が代表取締役社長を兼務する役員体制とした。同時にアーケードゲーム製造事業も不採算事業となり、2000年12月にアーケード機器最終組立工場であった矢口事業所(千葉県印旛郡栄町)を閉鎖し(現在はセガ・ロジスティクスサービス矢口事業所として存続)、アーケード機器組立を外注化した。また、アミューズメント施設事業を地域5社へ分社化(後にセガ アミューズメントへ統合)し、全国各地にあった支店・営業所・出張所[4][5]を段階的に閉鎖した。

2001年1月31日、経営再建策「構造改革プラン」として、家庭用ゲーム機ハード事業(ドリームキャスト)からの撤退と他社家庭用ゲーム機プラットフォームへのソフト供給が香山哲最高執行責任者によって発表される。これによって約815億円の特別損失を計上し、経営破綻寸前に陥った。しかし翌日に大川功が約850億円の私財寄付という形で損失補填を表明したことで経営危機は回避されたが(2001年3月期決算は家庭用ゲーム機ハード事業撤退にかかわる費用を計上したため約520億円の赤字[6])、大川功は同年3月に心不全のため逝去。この経営再建策から2002年3月期以降、業績は回復基調へ移ったが、株式の無配は2004年3月期まで続くことになる。


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