乗組員以外の原因として、船舶の改造が挙げられている。
該当船のセウォルは1994年に日本で建造され、当初、鹿児島県のマルエーフェリーが鹿児島-沖縄航路で「フェリーなみのうえ」(JG検査船舶)として運行していたもの[96]。長崎県の林兼船渠において1994年6月に竣工し[97]、翌7月の定期点検時に建造時の5,997総トンから6,586総トンに改造[98]、マルエーフェリー時代は5階建てで、船底に最も近い1階部分に貨物甲板、2階に乗用車約200台分の車両甲板、3階にレストランや案内所、売店などがあり、客室は3階より上にあった[99]。
2012年10月1日にマルエーフェリーを引退した後、すでに就航していた「オハマナ」(元大島運輸「フェリーあけぼの (初代)」)の増備用として東京の商社を通じて、韓国の清海鎮海運に「ほぼ鉄屑同然(スクラップ)」として約8億円で売却された[100][101]。その際、最上階部分船体後方に客室を増設したり、船首右舷側の貨物用ランプウェイを取り外すなどの改造が施され、重心がマルエフェリー時代より高くなり、定員数は804人から921人に、総トン数は6,825トンにそれぞれ増加[98]、車両180台、20フィートコンテナ152個を積載可能な船舶として、清海鎮海運は「韓国最大のクルーズ船」と幅広く宣伝[6]、2013年3月15日より「セウォル」として仁川-済州間週2往復の定期運行を開始、定員を活かして団体旅行にも利用されていた[102][103]。
この改造は韓国船級協会の規定に合致しており違法ではないが[65]、船体下部に位置したランプウェイの取り外しや船体上後部への客室の増設などの改造は重心位置が高く後部に移動し、バランスを取るのが難しくなったために転覆した可能性が複数の有識者により指摘されている[95]。しかし、反対の意見もあり捜査当局はあらゆる可能性も含め捜査するとした[95]。4月22日に韓国船級協会が客室の増改築の結果、重心が51センチ上がって復原力が大幅に低下したが、積載できる重量の倍以上の貨物を載せていたというセウォルの復原性検査の結果を公開した[104]。
なお、改造を行った全羅南道の会社は、2010年から船舶改装に参入した小規模企業であり、関係者によれば「大型旅客船の改装を行った実績がないとみられる」といい、また韓国船級協会も傾斜度検査などの改造後の十分な検証が行われなかったと指摘されている[105]。また、李明博政権の2009年に、企業コストを削減するために旅客船の船齢制限を20年から30年に延長するなど、船舶に関する規制緩和が成立しており、これが今回の事故に影響したのではないかと野党新政治民主連合の議員が主張している[106]。
5月26日、沈没の原因の捜査を行っている合同捜査本部は、起訴状の中で『セウォル号は2012年に輸入された後、兪炳彦(当時、清海鎮海運の会長)の指示で、客室や貨物室の拡張、兪容疑者の展示室の増設などの工事が行われた』などと述べた。これらの船体の増改築工事により、セウォル号は重心が上昇し、復原性を確保する為には、改造前よりも積載量を1448トン減らし、バラスト水を1324トン増やさなければならなくなった。しかし、清海鎮海運は139回の過剰積載を続け、約29億ウォンもの不当な利益を得ていた。これらの沈没原因となった復原性や過積載の問題についても、兪炳彦は報告を受けていた[107]。
6月9日、セウォル号の船会社である清海鎮海運が、セウォル号の安全基準よりも多く車両を載せるため、車の固縛装置(D?リング)785個を無断で取り付け、車両196台分多く載せられるように改造していたことが報じられる。昨年2月の韓国船級による安全検査を受けた後、設置した[108]。
運航会社の問題
運航会社の清海鎮海運は事件の数年前から故障や衝突などの事故を繰り返していることが分かっている。2011年4月にエンジン故障により622名の乗客を乗船させたまま約5時間航行不能となる漂流事故を起こし、2013年3月にも燃料フィルター欠陥によりまた約5時間の漂流事故を起こし、2014年4月には漁船との衝突事故を起こしている[109]。また、前述の韓国内での旅客船の船齢制限とも関係するが、同社の仁川-済州島間で運航されている僚船「オハマナ」は1989年9月の就航でありセウォルよりも船齢が約5年古く、2009年の規制緩和によって廃船を免れた船である。事故後の同船に対する捜査で救命ボートや脱出用シューターが正常に作動しなかったことが明らかになり、船員の一部は非常時の安全教育を受けていないと供述したことから、安全軽視の企業体質が指摘される状況となっている[110]。
社員への緊急時避難教育をしていなかったことが指摘されている。清海鎮海運の監査報告書によると、昨年、船員への研修費が54万ウォン(約53,000円)しかなかった。対して、広告費は2億3000万ウォン、接待費は6060万ウォンであった。総合ニュースによると、他社の教育訓練費用も同じように低いことが指摘されている[111]。
清海鎮海運が日常的に過積載を続けていたことが指摘されている。就航以来、検査機関が指定した積載可能量 約980トンの2 - 3倍を上回る貨物を載せることがあり、事故時には約3,600トンを積載していた。旅客収入が伸び悩む一方、貨物輸送収入は前年比36%増であった[112]。これらの過積載によって得られた不当な利益は、29億5000万ウォン(日本円でおよそ2億9000万円)に上る[113]。
一部報道によると、事故当日、船の重量オーバーを指摘する船員がいたが、清海鎮海運側は取り合わなかった[114]。
2009年から2013年の間、清海鎮海運で発生した事故が6件あった。2011年4月、セウォル号と同じ済州-仁川航路間で修学旅行生648人を乗せた船(セウォル号とは異なる)がエンジントラブルで5時間動けなくなる事故が起こったが、この船の一等航海士として乗船していたのも、今回の船長であった。このときも乗客には待機を指示しただけだった[115]。