セウォル号沈没事故
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9時17分頃 - セウォルが海上交通管制センターに救助を要請[15]。
9時24分頃 - 海上交通管制センターが船長に対して乗客に対する脱出の最終決断を促す[15]。
10時10分頃 - 「沈没が迫っている。乗客は海に飛び降りろ」と船内放送[13]。
10時17分頃 - 船内からのスマートフォンによるメッセージ発信が途切れる。船体は船首底部を除き沈没[16]。
11時過ぎ - 京畿道教育庁が船に乗っていた高校生の保護者たちに「壇園高校の生徒を全員救助」というメールを一斉に送付するも、同日午後になり救助された人数に誤りがあったことが判明、直後に安全行政部と海上警察が行方不明者の数を修正して発表[6]。
11時24分頃 - 海軍の海難救助部隊 (Ship Salvage Unit: SSU) 及びUDT/SEAL、陸軍特戦司令部の潜水要員が調査と救助作業に投入される[17]。
午後 - 海軍駆逐艦「大祚栄」の乗組員が貨物昇降の作業中に頭部を負傷し意識不明の状態で済州島の病院に運ばれるが、19日に死亡した[18]。
4月17日(事故発生 2日目)
午後 - 民間のダイバー3人が行方不明者を捜索中、波と風に流され行方不明になるが、20分後に釣り船に発見され、救助された[19]。
20時40分頃 - 悪天候により中断していた水中捜索を再開。同時に、海洋警察が船内進入のために無人ロボットを投入[20]。
4月18日(事故発生 3日目)
1時頃 - 船体を引き揚げるためにクレーン船3台を投入することを決定するも、船体が揺れてエアポケットに海水が浸入する可能性があるため難航[21]。
午後 - 海面より姿を見せていた船首底部が自重により完全に水没[22]。
事故発生 4日目以降
4月19日 - 16日の救助活動中に頭を負傷し、意識不明となっていた韓国海軍兵士1人が死亡[23]。
4月20日 - 珍島海上交通管制センターとの交信記録が公開される。死者58名[24]。
4月21日未明 - 遠隔操作無人探査機1台がアメリカ企業より貸与されて捜索に利用開始される。死者64名[25]。清海鎮海運の関係者44名に対し出国禁止命令を出し、救助された乗組員15名全員に事情聴取が開始される[26]。
事故発生 1週間目以降
4月22日 - 死者が100名を上回る[27]。
4月23日 - 当初、修学旅行の高校生の多くが集まっていたと考えられていた3階食堂への進入に成功するも、生存者確認できず。死者150名[28]。
4月24日 - 死者が現時点での生存者数を上回り180名となる[29]。
4月26日 - 乗客を放置して逃げた遺棄致死罪などの容疑で新たに乗員4人が逮捕される。これにより、事故当時操船関連業務に従事していた乗員15名全員が逮捕された[30]。
4月29日 - 死者が200名を上回る[31]。
5月6日 - 救助活動にあたっていた民間のダイバー1名が死亡した[32]。
5月7日 - 海洋警察は、生存者の数を4月18日に発表した174人から172人に訂正した。同一人物の名前が重複記載されたほか、同乗者確認中に誤認申告があったためと説明されている[33]。
5月8日 - 清海鎮海運の代表者であるキム・ハンシク(朝: ???)を拘束。死者269名[34]。
5月15日 - 船長ら4人を殺人罪で起訴[35]。
事故発生 1ヶ月目以降
5月30日 - 捜索範囲拡大のため、船尾部分の船体切断を開始[36]。
5月30日未明 - 行方不明者捜索のために沈没船体切断作業を行っていた民間のダイバー1名が死亡した。これにより6日の死亡者1名と合わせて民間ダイバーの死亡者は2名となった[37]。
6月5日 - 沈没現場から約40km離れた海上にて男性1人の遺体を発見。指紋照合により船外へ流出した遺体である事が判明。死者289名[38]。
6月8日 - 救助チームが、海中のセウォル号船内から遺体を発見した。高校の生徒を避難させようとしていた教師と見られる。死者は291名となった[39]。
6月24日 - 救助チームが、海中のセウォル号船内から、高校の女子生徒と見られる遺体を発見した。死者は293名となり[40]、同国における292名の犠牲者を出した海難事故である「西海フェリー沈没事故」を上回った。
事故発生 3ヶ月目以降
7月17日 - 同日の行方不明者捜索支援任務を終えて消防本部へ帰る途中だった消防ヘリコプターが光州市の住宅街に墜落し、搭乗していた消防隊員5名全員が死亡した[41]。
7月22日 - セウォル号の運航会社会長で、脱税や横領の容疑がかかっていた兪炳彦の遺体が発見された[42]。遺体は6月12日に発見されていたが、韓国警察はその遺体が兪だとは分からないまま、捜索を続けていた[43]。
7月25日 - 兪炳彦の長男の兪大均容疑者と、その逃亡を助けていた女性が、警察に検挙された[44]。
8月7日 - セウォル号の犠牲者の捜索のために動員されていた民間の漁船が、セウォル号事故から10キロメートルも離れていない場所で、貨物船と衝突事故を起こし、漁船は沈没した。漁船の乗組員は全員救助され、大きな怪我はなかった[45]。
10月6日 - 最高検察庁は、セウォル号惨事に対する最終捜査結果を発表した[46]。
事故発生 半年目以降
10月28日 - 7月18日から3ヶ月ぶりに、救助隊が船内で遺体を発見した[47]。
10月31日 - 韓国の与野党は、セウォル号沈没事故の真相究明に向けた3つの特別法について、最終合意をした[48]。
11月11日 - 韓国政府は、潜水作業による捜索を終了すると発表した。この時点で未確認の行方不明者は9名である[49]。
2017年
3月22日 - 引き上げの正式開始[50]。引き上げを担当したのは現代三湖重工業である[51]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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