セウォル号沈没事故
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5月15日 - 船長ら4人を殺人罪で起訴[35]

事故発生 1ヶ月目以降


5月30日 - 捜索範囲拡大のため、船尾部分の船体切断を開始[36]

5月30日未明 - 行方不明者捜索のために沈没船体切断作業を行っていた民間のダイバー1名が死亡した。これにより6日の死亡者1名と合わせて民間ダイバーの死亡者は2名となった[37]

6月5日 - 沈没現場から約40km離れた海上にて男性1人の遺体を発見。指紋照合により船外へ流出した遺体である事が判明。死者289名[38]

6月8日 - 救助チームが、海中のセウォル号船内から遺体を発見した。高校の生徒を避難させようとしていた教師と見られる。死者は291名となった[39]

6月24日 - 救助チームが、海中のセウォル号船内から、高校の女子生徒と見られる遺体を発見した。死者は293名となり[40]、同国における292名の犠牲者を出した海難事故である「西海フェリー沈没事故」を上回った。

事故発生 3ヶ月目以降


7月17日 - 同日の行方不明者捜索支援任務を終えて消防本部へ帰る途中だった消防ヘリコプターが光州市の住宅街に墜落し、搭乗していた消防隊員5名全員が死亡した[41]

7月22日 - セウォル号の運航会社会長で、脱税や横領の容疑がかかっていた兪炳彦の遺体が発見された[42]。遺体は6月12日に発見されていたが、韓国警察はその遺体が兪だとは分からないまま、捜索を続けていた[43]

7月25日 - 兪炳彦の長男の兪大均容疑者と、その逃亡を助けていた女性が、警察に検挙された[44]

8月7日 - セウォル号の犠牲者の捜索のために動員されていた民間の漁船が、セウォル号事故から10キロメートルも離れていない場所で、貨物船と衝突事故を起こし、漁船は沈没した。漁船の乗組員は全員救助され、大きな怪我はなかった[45]

10月6日 - 最高検察庁は、セウォル号惨事に対する最終捜査結果を発表した[46]

事故発生 半年目以降


10月28日 - 7月18日から3ヶ月ぶりに、救助隊が船内で遺体を発見した[47]

10月31日 - 韓国の与野党は、セウォル号沈没事故の真相究明に向けた3つの特別法について、最終合意をした[48]

11月11日 - 韓国政府は、潜水作業による捜索を終了すると発表した。この時点で未確認の行方不明者は9名である[49]

2017年

3月22日 - 引き上げの正式開始
[50]。引き上げを担当したのは現代三湖重工業である[51]

3月24日 - 引き上げの完了[52]

3月29日 - 沈没事件の真相解明を行う「セウォル号船体調査委員会」が発足した。国会側が選ぶ委員5人と遺族側が推薦する委員3人の合わせて8人で構成される[53]

5月17日 - 4日に海底から発見された遺骨が行方不明者であると特定される[54]

5月20日 - 引き上げた船内の第一次捜索が完了。発見された遺骨が行方不明者であると特定され、残りの行方不明者は5人となった[2]

2018年

5月10日 - 2017年から続いている引き上げ作業が完了し、セウォル号は直立状態となった
[51]

5月24日 - 船体の内部が報道陣に公開された[55]

7月3日 - 韓国軍機務司令部は、セウォル号遺族たちを査察し、彼らに対抗する保守団体の集会を支援していたことが判明した。軍司令部は、セウォル号沈没の13日目から6カ月間にわたり遺族を調査して経歴を調べ、性向を強硬中道などに分類していた。また、保守団体に「左派集会」情報がほしいと要請を受けた際、は、こうして調べたセウォル号事件関連の時局集会情報を提供していた[56]

7月19日 - 2015年、事故の原因や対応の遅れに関して政府の責任を問うため、事故の遺族は政府を相手取って訴訟を起こしていた。この裁判について、ソウル中央地裁は政府の責任を一部認め、遺族1世帯あたりに2億ウォンの賠償を行うよう命じる判決を言い渡した[57]

8月6日 - セウォル号船体調査委員会の活動が終了し、報告書が提出された。報告書には、機械の欠陥などの理由でセウォル号が沈没したという「内因説」と、衝突など外力による沈没の可能性を追加で調査しなければならないという内容の「外力説」の2種類の結論が入り、統一的な結論は出なかった[58]

10月19日 - セウォル号の事実上最後となる捜索が終わった。この捜索で、行方不明となっている5名は、見つからなかった。以降は船体調査が実施される[59]

12月7日 - 韓国軍機務司令部が、セウォル号遺族たちに違法な調査をしていた問題で、この捜査を指示していたとされる元・国軍機務司令官の李載壽が飛び降り自殺した[60]

2019年

2月12日 - 被害者の多かった
檀園高等学校にて、死亡者の名誉卒業式が開かれた。本来、生きていれば卒業は2016年であったが、遺体収容などの作業が継続中であったため、遺族の要望により延期されていた[61]

3月28日 - セウォル号特別調査委員会は、「海軍が2014年6月22日にセウォル号の船内3階のフロントデスクから回収したと主張してきたDVRと、その後検察が確保した『セウォル号DVR』が異なるものと疑われる端緒を発見した」と発表。船内の監視カメラの映像が捏造された可能性を提起した[62][63]

事故原因

2014年5月時点で、主な事故原因は以下が指摘されていた。

過積載とバラスト水の操作

運航会社の問題

船長の離席と三等航海士の経験不足

不適切な船体改造

船体検査制度の不備

船体の故障

2014年10月6日、最高検察庁は、セウォル号惨事に対する最終捜査結果を発表した。「清海鎮海運が船を無理に増・改築し、過剰積載状態で出港した後、船員の運航の過失で沈没した。救助に行った木浦海洋警察署の問題ある対処、救護会社選定過程での不法行為で死亡者が増えた」としている[46]。一方、2017年に発足した「セウォル号船体調査委員会」の最終報告書では、機械の欠陥などの理由でセウォル号が沈没したという「内因説」と、衝突など外力による沈没の可能性を追加で調査しなければならないという内容の「外力説」の2種類の原因が併記され、結論は出なかった[58]
過積載とバラスト水の操作

セウォル号の沈没の最大要因は、過積載バラスト水の操作と考えられる。

船を運行していた清海鎮海運の当初の発表によると、事故当時、セウォルには車両150台、貨物657トンが積載されていた、とし、貨物も含めた総積載量は限度内に収まっていると釈明していた[64]。だが、発表内容には疑問がもたれ、聯合ニュースは「最大積載量を超過していた可能性が高い」と論じていた[65]


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