なお、四国放送(JRT)は自社制作のローカル情報番組『おはようとくしま』の放送などを優先していたため、日本テレビ系列フルネット局の中で唯一『朝!』時代は一貫して非ネットだった。『ズームイン!!SUPER』への改題・枠大リニューアル後は四国放送でもネット開始したものの、第1部のみのネットに留まり、第2部の時間帯は自社制作番組に差し替えネットしない体制が2011年3月の番組終了まで続いた。その後、四国放送は2011年3月をもって平日朝の情報番組の自社制作を取りやめ、同年4月から開始された後継番組『ZIP!』はフルネットで放送している。
出演者
総合司会
初代 徳光和夫(1979年3月5日 - 1988年3月7日)
2代目 福留功男(1988年3月7日 - 1998年8月31日)
3代目 福澤朗(1998年9月1日 - 2001年9月28日)
徳光時代にオープニングのフォーマットが変わってからは名前テロップ上部に必ず「おはようございます」(元日は「おめでとうございます」)の表記が入る[注 36]。「ズムサタ」でも共通だったが、『SUPER』になってからは表記を廃止し『ズムサタ』も途中からやめている。歴代の総合司会はその当時の日テレの看板アナウンサーが務めていたが、いずれも後にフリーに転身しており[注 37]、「ズームイン!!朝!(SUPER)の総合司会は“フリーへの道”である」とも言われた[注 38]。
また、総合司会の3人はそれぞれ『アメリカ横断ウルトラクイズ』と『全国高等学校クイズ選手権』に関係しており、さらに後身番組である『ズームイン!!SUPER』の第2代総合司会を務めた羽鳥慎一、『ZIP!』の初代総合司会の桝太一も共に『全国高等学校クイズ選手権』に関与している[注 39]。
総合司会が休暇・取材の場合は日テレのアナウンサーやネット局のアナウンサーが東京に派遣されての代理総合司会を務めた。徳光の休養時は福留など、福留の休養時は堀敏彦、福澤朗、羽鳥慎一など、そして福澤の休養時は羽鳥慎一、藤井貴彦などが総合司会を務めたことがある[注 40]。さらに、福澤時代はほとんど札幌テレビの森中慎也が東京での代理総合司会に定着していた。なお、極めて珍しい例として、福留時代にイギリス留学中の福留の娘が体調を崩した為、福留が渡英して番組を休んだ1991年8月21日から23日の3日間、前任の徳光が急遽再登板したケースがあった[注 41]。また、上述の通り福留は総合司会就任の1988年から1990年までは『ウルトラクイズ』海外ロケ参加の為毎年9月上旬辺りからの約1ヶ月は当番組からは離れていた為、この場合も総合司会休暇の時と同様のケースが取られていた。
マイスタを基点とせず、日本各地の中継先[注 42]から司会を行う場合もあった。
フィールドキャスター(福澤時代)