1990年4月2日(実質的にはサービス放送開始の3月26日から)、前日に開局したテレビ金沢にて石川県での放送を開始。それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送(金沢市、月曜の「金沢情報」・能登地方)と福井放送(小松市・加賀市など)が取材を行っていた(26局ネット)。
1991年4月1日、長崎県での放送がこの日に開局した長崎国際テレビに変更。テレビ長崎での放送はその半年前に打ち切りになっている(1990年10月から1991年3月までは25局ネット、同年4月より再度26局ネット)。
1992年10月1日、愛媛県での伊予テレビ(現:あいテレビ)開局[注 27]を期にTBS系列の番組ネットの見直しが行われ、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『ビッグモーニング』)を放送していた南海放送(愛媛)と秋田放送が番組ネットを開始[19]。最大の28局ネットになる。
1994年4月1日、鹿児島県での放送がこの日に開局した鹿児島読売テレビに変更。なお、それまで鹿児島県でのネット局であった鹿児島テレビは同日フジテレビが開始した『めざましテレビ』を本番組の後継番組扱いでネット開始した。開局当日は福留とNNNの九州地区基幹局である、福岡放送の中継キャスターの古賀ゆきひとが鹿児島に出向いて番組が放送された。(28局ネットは維持)
1996年7月6日と1997年7月5日、静岡第一テレビで福留がメインパーソナリティを担当した『第一テレビの日』の一環で『ズームイン!!静岡!』(8時 - 9時30分)をウェークアップ!(読売テレビ制作)から差し替えて放送(1997年は『ズームイン!!サタデー』を静岡第一テレビの独自制作に差し替えている。