ズームイン!!朝!
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また情報番組としてスピーディーな進行を志向した福留の意向により、オープニングだけではあるものの、徳光時代以来長らく続いてきたマイスタ前の一般開放を取りやめた[注 17]

1991年3月に福留は日本テレビを退社しフリーアナウンサーに転身したが、本番組の総合司会は続投した。福留はこの半年後、TBSの情報番組『ブロードキャスター』のメインキャスターに就任し、以降はTBS側の方針により、『ブロードキャスター』が休止される場合同時に本番組の放送週を休む形をとっていた[注 18]。『ウルトラクイズ』『高校生クイズ』の総合司会[注 19]はこの年から福澤朗に交代したため、前年までのように『高校生クイズ』収録のため福留が地方から出演したり、『ウルトラクイズ』収録のため福留が番組を1ヶ月離れたりするという事はなくなった[注 20]

1991年8月21日 - 23日には、福留が海外で体調が悪化した娘の看病のため滞在先の国に渡航した関係で、急遽初代総合司会の徳光が3日限りの復帰を果たし、代理総合司会を務めた。この3日間に限り、当時既に廃止されていたオープニングでのマイスタ一般開放が実施され、見物客と共に『ズームイン??』を行うかつての光景が復活した。

1992年3月30日、直前の時間帯にマイスタジオを使った情報番組『ジパングあさ6』がスタート(一部地域を除く[注 21])。本番組との合同PRスポットも制作された。

1993年3月5日、放送開始から15周年を迎える。この日は福留の代打出演以来2年ぶりに徳光も出演し、全編に渡り福留とのダブル総合司会で放送した。オープニングでは第1回放送での上記の徳光の第一声のVTRを放送した後、同じ場所に立つ徳光が挨拶を行った。4月9日には放送開始15周年記念と日本テレビ開局40周年記念を兼ねた特別番組『ズームイン!!夜!』をゴールデンタイムの夜7時から4時間にわたって放送。こちらも徳光と福留のダブル総合司会により朝と同じスタイルの番組を夜に展開する企画で、好評につき同年秋にも2回目(この時は夜7時からの2時間30分)の放送がなされた。

1993年6月9日、『NNN皇太子さま・雅子さんご成婚スペシャル 麗しのプリンセス誕生! 14時間テレビ』の第一部として、ジパングあさ6と合同特番を放送[18]

1993年から1994年に掛けて、長寿企画である「朝の詩」や「ワンポイント英会話」のコーナーを終了させた。ニュース量・地方中継の量と質の向上などの第2のリニューアルを進め、スピーディーな番組進行の色合いが強まった。「朝の詩」は花王一社提供コーナーであり、花王に了承を得てから終了となった。以後、花王は提供クレジットから降りてPT(パーティシペーション)扱いとしてCMを流した。

重大な事件・事故が起きた際、その翌朝にはマイスタでの司会を別の者(堀敏彦など)に任せた上で、メインキャスターである福留自ら現場から生放送・リポートを行う手法を多用した。1993年7月12日北海道南西沖地震発生の際には、被災した奥尻島を翌朝の番組でヘリコプターからリポートした。最も有名なのは1995年1月17日阪神・淡路大震災発生から2日後の同月19日、神戸から番組を生放送し、現地キャスターと被災地や被災者のリポートを行っている[注 22][注 23][注 24]。その中継の中では読売テレビの報道フロアからの中継を打ち切る形で、福留が目撃した被災者が火災のあった家屋のがれきの中から救出されようとしている様子もそのまま生中継されていた[注 25]

1996年4月6日土曜日の朝に姉妹番組として『ズームイン!!サタデー』を開始した。初代総合司会は後に本番組の3代目総合司会となる福澤朗。

1998年4月1日、前半ネット部分のスポンサー体制が、それまでの隔日提供から曜日毎の提供に変更された。また、それ以前には提供クレジットの方式が度々変更されており、番組開始当初からはオープニングの天気リレー→全国の天気の後に前提供をテロップとコメントで紹介し、後提供もテロップとコメントで紹介していたが、94年の『朝の詩』終了後から95年3月までは前提供をテロップとコメントで紹介することは継続も後提供はテロップで済ませる形になり[注 26]、95年4月以降はネットスポンサー枠をNSヘッドライン前から中盤に、前提供もCM明け後にテロップで済ませる形にそれぞれ変更した)。

ネット局関連

1990年4月2日(実質的にはサービス放送開始の3月26日から)、前日に開局したテレビ金沢にて石川県での放送を開始。それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送(金沢市、月曜の「金沢情報」・能登地方)と福井放送(小松市加賀市など)が取材を行っていた(26局ネット)。

1991年4月1日、長崎県での放送がこの日に開局した長崎国際テレビに変更。テレビ長崎での放送はその半年前に打ち切りになっている(1990年10月から1991年3月までは25局ネット、同年4月より再度26局ネット)。

1992年10月1日、愛媛県での伊予テレビ(現:あいテレビ)開局[注 27]を期にTBS系列の番組ネットの見直しが行われ、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『ビッグモーニング』)を放送していた南海放送(愛媛)と秋田放送が番組ネットを開始[19]。最大の28局ネットになる。

1994年4月1日、鹿児島県での放送がこの日に開局した鹿児島読売テレビに変更。なお、それまで鹿児島県でのネット局であった鹿児島テレビは同日フジテレビが開始した『めざましテレビ』を本番組の後継番組扱いでネット開始した。開局当日は福留とNNNの九州地区基幹局である、福岡放送の中継キャスターの古賀ゆきひとが鹿児島に出向いて番組が放送された。(28局ネットは維持)

1996年7月6日と1997年7月5日、静岡第一テレビで福留がメインパーソナリティを担当した『第一テレビの日』の一環で『ズームイン!!静岡!』(8時 - 9時30分)をウェークアップ!(読売テレビ制作)から差し替えて放送(1997年は『ズームイン!!サタデー』を静岡第一テレビの独自制作に差し替えている。


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