ズビグネフ・ブレジンスキー
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1940年代まで、全体主義という概念はナチス党政権下のドイツやファシスト政権下のイタリアを論じるために用いられる一方、ソ連研究には用いられていなかった概念であり、ブレジンスキーの研究は同時代に発表されたハンナ・アーレントの『全体主義の起源』などと呼応する形で、これらの体制間の比較研究に地平を開くこととなった。

また、1971年には日本に半年間在住した後に、急速な経済発展を遂げた日本が政治外交領域ではいまだに独立した行動をとる力を持っていない「ひよわな花」であると論じ、日本で大きな注目を浴びた。冷戦後に発表した『ブレジンスキーの世界はこう動く』[5] でも、日本に対する基本的な見方は継承されている。

研究の一方、1960年の大統領選挙以降、歴代大統領選で民主党候補者陣営の外交問題顧問に加わる、日米欧三極委員会の創設に携わるなど、実務面でも力を発揮した。この面では共和党と深い関係を持っていたヘンリー・キッシンジャーと並び称されることが多い。
カーター大統領補佐官ホワイトハウス内でカーターやヴァンス、モンデールと語るブレジンスキー(右/1977年)

1976年の大統領選においてカーターの外交政策アドバイザーを務め、カーター政権発足後に国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任。反共主義者ながら、一方で中華人民共和国との米中国交正常化に取り組み[6]、後にG2論者[7][8][9] にもなってることから親中派であったとされる。

ハト派の多い民主党の中では異色のタカ派リベラルホーク)でもあり、ソ連のアフガニスタン侵攻に対するムジャヒディンの支援やペルシャ湾をアメリカの権益と見做して中東への軍事介入も掲げたカーター・ドクトリン(英語版)を策定した[10]。政権内ではサイラス・ヴァンス国務長官と外交政策を巡って対立することが多く、ヴァンスは中華人民共和国との会談の場でも疎外されるようになり、1979年のイランアメリカ大使館人質事件の対応をめぐって対立は決定的になった。結局、カーターの信任を勝ち取ったのはブレジンスキーで、ヴァンスは政権から追い出されるかたちで1980年に辞任することになった。

後任の国務長官には、故郷ポーランドからの移民の子であるエドマンド・マスキー上院議員を支持する。後にはマスキーを民主党大統領候補に推している。

さらに、レフ・ヴァウェンサをリーダーに、ソ連による支配に対抗したポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」を積極的に支持し、ポーランド出身だった当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世とも密に連絡を取り合っていたため、事実上1989年の東欧革命の最大の黒幕ともいわれている[4]
辞任後オバマらと語るブレジンスキー(前列左から2番目/2010年)

カーター政権退陣後も現実政治との密接なかかわりを持ち、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)の教授を務める傍ら、戦略国際問題研究所顧問として「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の共同代表を務めた。いわゆるネオコンとは連絡を取り合いながらも一線を画していた。

1990年代の雑誌インタビューで、日本は民主主義と人権尊重を推進することで世界の安定と国際協調を目指す方が、防衛力を増強したりPKOに参加することよりも好ましいとも、日本が経済以外の分野でアメリカと肩を並べるような超大国となることはない、とも述べている[11]

著書『The Choice』(2004年)の中で「アメリカのWASPの優位は既に完全に崩れ、WASP勢力に代わって、アメリカで支配的な勢力になったのはユダヤ人勢力である」と述べている。

2008年の大統領選で当選する民主党候補バラク・オバマ陣営の外交顧問を務めるなど、現代アメリカ政治に隠然たる力を及ぼしていた。2013年にはシリア内戦に対するアメリカの武力介入への反対を表明しており[12]、オバマ政権は結局シリアへの攻撃を諦めた。
晩年

2016年には民間人としては最高栄誉の、アメリカ国防総省公共サービス栄誉賞を受賞した[13]。2017年5月26日に、バージニア州の病院において89歳で死去したと報道された[13][14][15]。米外交界の重鎮として知られ[16]、その実績から、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官と並ぶ戦略思想家だったとする評価もされている[14]
日本の番組出演

1990年2月、NHKの特別番組『90年代ソビエトはどうなる』に出演する。同番組は米ソ両国の要人が偶然にも日本に滞在していることを知ったNHKが企画した特別番組で、ブレジンスキーはゴルバチョフ側近として知られたソ連外務省情報局長ゲンナージー・ゲラシーモフ(ロシア語版、英語版)と対談を行なった[17]
家族

長女:
ミカ・ブレジンスキー
MSNBC朝の報道番組の生放送本番で、収監されていたパリス・ヒルトンの仮釈放に関するニュース原稿を「こんなニュースは読む価値が無い」と拒否したうえ、ライターで燃やそうとして止められ、最終的には破り捨てたうえシュレッダーにかけたことで話題となったニュースキャスター。同番組には時折ズビグネフも解説者として登場し、娘を逆に困らせたりしている。

長男: マーク・ブレジンスキー(英語版)
外交専門家。弁護士ダートマス大学を卒業後、イギリスオックスフォード大学政治学博士号を取得。ビル・クリントン政権でアメリカ国家安全保障会議ロシアユーラシア局長。バラク・オバマの外交政策顧問、アメリカ合衆国駐スウェーデン大使、2022年1月よりアメリカ合衆国駐ポーランド大使


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