「ズウォティ」という名は、「金の」を意味するポーランド語の男性形容詞であり、西ヨーロッパのフローリンやギルダーと強い結びつきがある。グロシュは神聖ローマ帝国を中心に使われたグロッシェン(英語版)に由来し、イギリスのグロートとも同根である。ポーランドのグロシュは1919年2月28日にポーランド・マルカに代わって導入され、1924年に流通を始めた。ズウォティ硬貨の発行は、ワルシャワのポーランド造幣局(英語版)(1766年2月10日設立)のみで認められている。
1919年の制定以来、ズウォティは改定を繰り返している。直近では、1990年代前半のインフレーションを受けて1995年1月1日にデノミネーションが実施され、10,000旧ズウォティ (PLZ) が1新ズウォティ (PLN) とされた。これ以降のズウォティは比較的安定しており、1ユーロ=4?5ズウォティ程度のレートを維持している。ポーランドが加盟している欧州連合は加盟国に将来的なユーロへの切り替えを求めている。2011年の世論調査では、ズウォティからユーロへの切り替えに反対するポーランド人の割合は60%近くに上っていた[8][9]。しかし2022年の調査では60%がユーロ導入賛成に回っている。同調査によればすでにユーロを使ったことがあるポーランド人は84%に上っており、58%がユーロ導入の好影響が悪影響を上回るだろうと予想している[10]。 「ズウォティ」(z?oty)は、ポーランド語で「金」を意味する名詞「ズウォト」(z?oto)が形容詞化した単語である。直訳すれば「金の」あるいは「金でできた」という意味である。複数形では「ズウォテ」(z?ote [?zw?t?]
名称
1 ? ズウォティ/グロシュ
2...4; 22...24; 32...34 (...), 102...104, 122...124, 132...134, (...) ? ズウォテ/グロシェ
0, 5...21; 25...31; 35...41 (...); 95...101; 105...121; 125...131; (...) ? ズウォティフ/グロシ
小数で表記する際はズウォテゴ(z?otego [zw??t???] )/グロシャ(grosza [??r??a])と呼ぶ(例:0.1 z?otego、2.5 z?otego)。 公式な通貨記号はz?。これは"z?oty"の最初の2字zと?からとったものである[12]。単一記号としてはUnicodeが割り当てられていないものの、古いポーランドのタイプライターには対応するキーが設けられていた[13]。ポーランド語プログラマキーボードを用いて入力する際は、1文字ずつZと?(AltGr+L)を入力する必要がある。グロシュを示す記号はgrである[14]。 ポーランドでは、10世紀ごろから最初の有形貨幣としてデナリウス(デナル)が流通し始めた[15]。この時期のポーランドの硬貨は1種類の額面しかなかった。材料としては銀の地金を用いる場合が多かったが、銅や他の貴金属が混ぜられることもあった[16]。当時はグジヴナ
記号
歴史
前史と第一ズウォティ15世紀にトルンで鋳造されたデナル貨。ポーランドの白鷲があしらわれている。
「ズウォティ」という語は、当初14世紀から15世紀にかけて外国の金貨を指して使われていた。主なものとして、ドゥカート、フローリン(英語版)、グルデン(英語版)が挙げられる。1496年、セイム(英語版)(ポーランド王国議会)は独自通貨の制定について討議した末、それまでユニット・オブ・アカウントであったズウォティを実体貨幣とした[20]。金片である1ズウォティを30グロシュとするレートが定められ、これが19世紀まで使われ続けた[21]。1526年から1535年にかけて、ポーランド王ジグムント1世はミコワイ・コペルニク(ニコラウス・コペルニクス)とユストゥス・ルドヴィク・デチュシュ(英語版)(ユストゥス・デキウス)の建言により大規模な貨幣改革を実施した。その一環として1528年2月16日に発された造幣法令により、ズウォティは法定通貨とされた[22]。
しかしその後もしばらく、ポーランドは複雑で込み入った通貨体系を使い続けていた。18世紀になり、スタニスワフ2世アウグストの改革ですべての通貨体系が1ズウォティ=30グロシュの体系に一本化された。また1協約ターラー(英語版)(神聖ローマ帝国の通貨)=8ズウォティ=純銀23.3856g、1北ドイツターラー(英語版)=6ズウォティ=銀17.5392gという交換レートが定められた。つまり、1ズウォティは銀2.9232gに相当した。