ズウォティ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

流通額は中・東欧で最も多く、外国為替市場での取引額は22位である[4][5][6]。日常会話ではズウォトゥフカ(z?otowka)というくだけた表現が用いられることもある。日本ではズロチと表記されることもある[7]

「ズウォティ」という名は、「金の」を意味するポーランド語の男性形容詞であり、西ヨーロッパのフローリンやギルダーと強い結びつきがある。グロシュは神聖ローマ帝国を中心に使われたグロッシェン(英語版)に由来し、イギリスのグロートとも同根である。ポーランドのグロシュは1919年2月28日にポーランド・マルカに代わって導入され、1924年に流通を始めた。ズウォティ硬貨の発行は、ワルシャワのポーランド造幣局(英語版)(1766年2月10日設立)のみで認められている。

1919年の制定以来、ズウォティは改定を繰り返している。直近では、1990年代前半のインフレーションを受けて1995年1月1日にデノミネーションが実施され、10,000旧ズウォティ (PLZ) が1新ズウォティ (PLN) とされた。これ以降のズウォティは比較的安定しており、1ユーロ=4?5ズウォティ程度のレートを維持している。ポーランドが加盟している欧州連合は加盟国に将来的なユーロへの切り替えを求めている。2011年の世論調査では、ズウォティからユーロへの切り替えに反対するポーランド人の割合は60%近くに上っていた[8][9]。しかし2022年の調査では60%がユーロ導入賛成に回っている。同調査によればすでにユーロを使ったことがあるポーランド人は84%に上っており、58%がユーロ導入の好影響が悪影響を上回るだろうと予想している[10]
名称

「ズウォティ」(z?oty)は、ポーランド語で「金」を意味する名詞「ズウォト」(z?oto)が形容詞化した単語である。直訳すれば「金の」あるいは「金でできた」という意味である。複数形では「ズウォテ」(z?ote [?zw?t?] )と「ズウォティフ」(z?otych [?zw?t?x])の2種類があり、計数時に以下のように変化する[11]

1 ? ズウォティ/グロシュ

2...4; 22...24; 32...34 (...), 102...104, 122...124, 132...134, (...) ? ズウォテ/グロシェ

0, 5...21; 25...31; 35...41 (...); 95...101; 105...121; 125...131; (...) ? ズウォティフ/グロシ

小数で表記する際はズウォテゴ(z?otego [zw??t???] )/グロシャ(grosza [??r??a])と呼ぶ(例:0.1 z?otego、2.5 z?otego)。
記号

公式な通貨記号はz?。これは"z?oty"の最初の2字z?からとったものである[12]。単一記号としてはUnicodeが割り当てられていないものの、古いポーランドのタイプライターには対応するキーが設けられていた[13]ポーランド語プログラマキーボードを用いて入力する際は、1文字ずつZと?(AltGr+L)を入力する必要がある。グロシュを示す記号はgrである[14]
歴史
前史と第一ズウォティ15世紀にトルンで鋳造されたデナル貨。ポーランドの白鷲があしらわれている。

ポーランドでは、10世紀ごろから最初の有形貨幣としてデナリウス(デナル)が流通し始めた[15]。この時期のポーランドの硬貨は1種類の額面しかなかった。材料としては銀の地金を用いる場合が多かったが、や他の貴金属が混ぜられることもあった[16]。当時はグジヴナ(英語版)が計量単位として用いられており、1グジヴナが240デナルに相当した[17]。1300年代から16世紀半ばにかけてはプラハ・グロシュが市場に豊富に供給されて圧倒的な地位を占めたため、中央ヨーロッパ全体で各国独自の貨幣を発行する動きは弱くなった[18]。一方で、ポーランド王国内の一部の都市や自治権が強い地域は、独自貨幣を発行する特権を認められていた。例えばプロイセン公国はシェロンクを発行しており、ポーランド王国自体も1526年にシェロンクの併用を認めた[19]

「ズウォティ」という語は、当初14世紀から15世紀にかけて外国の金貨を指して使われていた。主なものとして、ドゥカート、フローリン(英語版)、グルデン(英語版)が挙げられる。1496年、セイム(英語版)(ポーランド王国議会)は独自通貨の制定について討議した末、それまでユニット・オブ・アカウントであったズウォティを実体貨幣とした[20]。金片である1ズウォティを30グロシュとするレートが定められ、これが19世紀まで使われ続けた[21]。1526年から1535年にかけて、ポーランド王ジグムント1世ミコワイ・コペルニク(ニコラウス・コペルニクス)とユストゥス・ルドヴィク・デチュシュ(英語版)(ユストゥス・デキウス)の建言により大規模な貨幣改革を実施した。その一環として1528年2月16日に発された造幣法令により、ズウォティは法定通貨とされた[22]

しかしその後もしばらく、ポーランドは複雑で込み入った通貨体系を使い続けていた。18世紀になり、スタニスワフ2世アウグストの改革ですべての通貨体系が1ズウォティ=30グロシュの体系に一本化された。また1協約ターラー(英語版)(神聖ローマ帝国の通貨)=8ズウォティ=純銀23.3856g、1北ドイツターラー(英語版)=6ズウォティ=銀17.5392gという交換レートが定められた。つまり、1ズウォティは銀2.9232gに相当した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:87 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef