小数で表記する際はズウォテゴ(z?otego [zw??t???] )/グロシャ(grosza [??r??a])と呼ぶ(例:0.1 z?otego、2.5 z?otego)。 公式な通貨記号はz?。これは"z?oty"の最初の2字zと?からとったものである[12]。単一記号としてはUnicodeが割り当てられていないものの、古いポーランドのタイプライターには対応するキーが設けられていた[13]。ポーランド語プログラマキーボードを用いて入力する際は、1文字ずつZと?(AltGr+L)を入力する必要がある。グロシュを示す記号はgrである[14]。 ポーランドでは、10世紀ごろから最初の有形貨幣としてデナリウス(デナル)が流通し始めた[15]。この時期のポーランドの硬貨は1種類の額面しかなかった。材料としては銀の地金を用いる場合が多かったが、銅や他の貴金属が混ぜられることもあった[16]。当時はグジヴナ
記号
歴史
前史と第一ズウォティ15世紀にトルンで鋳造されたデナル貨。ポーランドの白鷲があしらわれている。
「ズウォティ」という語は、当初14世紀から15世紀にかけて外国の金貨を指して使われていた。主なものとして、ドゥカート、フローリン(英語版)、グルデン(英語版)が挙げられる。1496年、セイム(英語版)(ポーランド王国議会)は独自通貨の制定について討議した末、それまでユニット・オブ・アカウントであったズウォティを実体貨幣とした[20]。金片である1ズウォティを30グロシュとするレートが定められ、これが19世紀まで使われ続けた[21]。1526年から1535年にかけて、ポーランド王ジグムント1世はミコワイ・コペルニク(ニコラウス・コペルニクス)とユストゥス・ルドヴィク・デチュシュ(英語版)(ユストゥス・デキウス)の建言により大規模な貨幣改革を実施した。その一環として1528年2月16日に発された造幣法令により、ズウォティは法定通貨とされた[22]。
しかしその後もしばらく、ポーランドは複雑で込み入った通貨体系を使い続けていた。18世紀になり、スタニスワフ2世アウグストの改革ですべての通貨体系が1ズウォティ=30グロシュの体系に一本化された。また1協約ターラー(英語版)(神聖ローマ帝国の通貨)=8ズウォティ=純銀23.3856g、1北ドイツターラー(英語版)=6ズウォティ=銀17.5392gという交換レートが定められた。つまり、1ズウォティは銀2.9232gに相当した。
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1793年、ポーランド・リトアニア共和国は第二次ポーランド分割により約20万平方キロメートルもの領土を失った。これに抵抗するべくコシチュシュコの蜂起が勃発したが、蜂起軍は経済崩壊した共和国で周辺諸国に抗するための軍事費不足に苦しむことになった。硬貨を発行しようにも十分な地金がないため、代替となる貨幣が必要になった。1794年6月、蜂起の指導者タデウシュ・コシチュシュコは紙に印刷したズウォティを発行した。これがポーランド初の、硬貨の代用となる紙幣となった[23]。このズウォティ紙幣は1794年8月13日から流通し始めた。
結局蜂起は失敗に終わり、ポーランド・リトアニア共和国は1795年の第三次ポーランド分割で消滅した。