17世紀にはナクシュバンディー教団の影響が広がり、馬来遅のフフィー教団(老教)や、18世紀には馬明心のジャフリーヤ教団(新教)が設立され、回民蜂起を起こすなど、清朝末期の新疆の回族と東トルキスタンのドンガン人の歴史に大きな影響を与えた[要出典]。
18世紀の西サハラではクンタ家(英語版)のカーディリー教団が組織された[要出典]。
19世紀にはコーカサス戦争を主導したミュリディズムが組織された[要出典]。
教団[ソースを編集]「Category:スーフィーの教団」、「カーディリー教団」、「スフラワルディー教団」、および「チシュティー教団」も参照
今でも多くの教団(タリーカ)が活動しており、ジャラール・ウッディーン・ルーミーが創始したメヴレヴィー教団などがこのスーフィズムを信仰している。しかしトルコ政府はメヴレヴィー教団の活動を禁止している。開祖の教えに戻れと主張するイスラーム原理主義の勢いで、異端的な要素(ギリシャ哲学やヒンドゥー教等)の有るスーフィズムは目立たない活動を強いられたり、抑圧されたりしている地域もある。2018年2月19日、イランの首都テヘラン北部でスーフィズムの信徒が弾圧に抗議するデモを行って治安部隊と衝突し、治安部隊側の5人が死亡。デモ隊にも多数の負傷者や逮捕者が出た[7]。
一方で、近代市民社会を作り上げるための寛容でリベラルなイスラーム思想の源流として注目されてもいる。
各地域の教団として以下のものがある。
中央アジアのブハラや東トルキスタンを中心にナクシュバンディー教団が活躍してきた。
マイズバンダル教団(バングラデシュ)
ベクタシュ教団(トルコ、アルバニア)
メヴレヴィー教団(トルコ)
リファーイー教団(イラク)
イドリース教団(モロッコ、北アフリカ、イエメン)
サヌーシー教団(リビア)
その他、軍閥がある。
アル・スンナ・ワル・ジャマー(ソマリア)
教理[ソースを編集]
スーフィズム教団間を統括するような教理体系は現れなかったが、おおむね一致する教理として次のようなものがある[3]。創造者である神と被創造物である人間の内的な繋がりを仮定し、強い愛の力によって両者の隔たりを消滅させ、精神的合一を目指すというものである[3]。個我からの滅却・解放、そして<神>もしくは<全体>との合一(この境地を「ファナーウ」という)をみずからの体験として追求する傾向が、広くスーフィーとして知られる諸派の共通点であると言われる[要出典]。
スーフィーの修行は階梯にたとえられ、神の与えてくれる心的状態(アフワール)を経験するとひとつ上の段階に移行できる。すべての階梯を登り切ると忘我の境地に至り、霊知(マアリファ)と真理(ハキーカ)と呼ばれる高い意識を永続的に得られると考えられた[要出典]。
スーフィズムでは禁欲的で厳しい修行を行う。修行法は様々だが、もっとも重要な行はズィクルと呼ばれる祈祷句を読み上げる儀礼である[8][9]。神に思念を集中し一心不乱に連祷することでファナー(消滅)と呼ばれる境地に至る[9]。
また、諸派が構成する精神的共同体の内部での友愛的な絆の強さも、スーフィーの特徴のひとつと言われる[要出典]。それらの精神的共同体のメンバーは一般的には男性のみであるが、歴史のなかでは女性がスーフィーの師となった例もあり、少数ながら女性の入団を認める派もある[要出典]。