監督でプロデューサーのブライアン・シンガーは『X-MEN2』(2003年)の撮影中に「スーパーマンが5年ぶりに地球に戻ってくる」ストーリーを考案した。彼はアイデアをローレン・シュラー・ドナーとその夫で『スーパーマン』の監督のリチャード・ドナーに提示した。ドナーは好意的な反応でシンガーのアイデアを受け入れた[7]。2004年3月、ワーナー・ブラザースは2006年6月の劇場公開を目指して『Superman: Flyby』のプリプロダクションを始めていた。マックGがJ・J・エイブラムスによる脚本を監督する契約を交わしたが、2004年6月に降板した。同月にワーナー・ブラザースはシンガーに接近した。彼は『X-MEN2』のマイケル・ドハティとダン・ハリス(英語版)に脚本執筆を依頼し、3人はドハティとハリスが休暇で訪れていたハワイで映画トリートメントを書き始めた[8]。2004年7月、シンガーは監督契約を交わし、『スーパーマン リターンズ』の企画に入った[9]。
シンガーはコミックのファンではなかったがドナーによる1978年の映画に感銘を受けており、ドハティとハリスによる脚本もその影響を受けている[9][10]。シンガーはこの契約のため、『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006年)と『2300年未来への旅』のリメイク企画から降板した[9]。『スーパーマン リターンズ』はワーナー・ブラザースとレジェンダリー・ピクチャーズが50%ずつ出資し[11]、2004年11月にプリプロダクションが始まった[12]。2005年2月までにドハティとハリスは6稿目を書き終えていた[13]。初期段階の脚本ではアメリカ同時多発テロ事件の要素が入っていたが、後に削除された[8]。
撮影(英語版)での撮影を考案した。撮影後、隣接するテーマパークのワーナー・ブラザース・ムービー・ワールド(英語版)でアトラクションとして使おうとしたが、高額すぎるためにこのアイデアは破棄された[14]。セットの建造は2005年6月にフォックス・スタジオ・オーストラリアで始まった。世間の注目を避けるため、撮影所では『Red Sun』というワーキング・タイトルが使われた[15][16]。