スーパークイズスペシャル
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注釈^ 『SHOW by ショーバイ!!』は渡辺正行も司会を担当しているが、この時は解答者として出演した。
^ 「世界まる見え!世界のCMクイズ」、「特ホウ王国 4択クイズ」、「夜もヒッパレ・クイズ!サビからヒッパレ!!」等。
^ ただし、最終回となった1999年秋は水曜日に戻っている。
^ 1996年春まで出演(『SHOW by ショーバイ!!』シリーズ終了まで)。
^ 1992年春と1993年秋以降に出演。
^ 1993年春は『まる見え』からクイズ出題のVTR出演のみ。
^ 1992年秋まで出演。
^ 1993年春以降に出演。
^ 1994年春のみ出演。
^ 1990年度はミリオンスロット叩かず、すぐに1軍席へ。
^ これは『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃の『2軍席決め抽選』から続行するルール。
^ 『SHOW by ショーバイ』のみで番組が放送されていた初期の頃は2軍には解答権が無く、1軍不正解を待つのみであった。1991年春から3回は自チームの前列の1軍チームが正解しているかを○×で予想する方式に、1992年秋以降は同上のルールに変更された。
^ 2軍が正解した場合は、3軍が2軍に、1軍が3軍に行き、3軍が正解した場合は、1軍と3軍が入れ替わり、2軍はそのまま。
^ 『SHOW by ショーバイ』からの『順金クイズ』・『世界年齢順クイズ』や『どんなMONだい?!』からの『対決ドボン』では1軍のみに解答権が与えられ、1軍と同じショーバイマネーが同じ縦列の2・3軍にも入った。ただし、減点となる場合でも連帯責任となった為、3チーム一気に破産や-50萬になってしまったこともあった。また、予選・本戦のシステムが廃止された1995年春以降、『マジカル』からの『エラーを探せ』では正解したチームと同じ縦列の他のチームにも同じショーバイマネーが入った。
^ 3軍・30萬、2軍・50萬、1軍・100萬。
^ 3軍・50萬、2軍・80萬、1軍・100萬。
^ 1993年秋-1994年春は『ホンモノいくつ!?クイズ』。
^ 1991年春までは5チーム、1991年秋と1992年春は6チーム、1992年秋以降は7チーム(1993年秋以降は敗者復活戦前に先に7チーム)
^ 福澤が司会を担当し、全て○×クイズで、1問目は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』から出題し、2問目以降は『日本テレビネット局縦断○×クイズ』を出題し、サドンデス方式で1チームになるまで続けられる。
^ 1991年秋は純金でなくドイツ旅行が贈呈され、1994年春は香港旅行が贈呈されている。
^ 得点ボードの位置は席の正面でなく、解答席から見て右側の遠い位置に移された。同時に、デジタルの電光の色も白から赤に変更された。
^ 1995年春・秋は途中までの得点発表はラストクイズ直前のみであった。
^ 1996年以降は得点ボードを映すことは全く無くなり、優勝チーム以外の全てのチームの最終結果が不明となった。また、1999年春は優勝チームの最終得点すら公表しなかった。
^ スカが存在したのはこの回のみ。
^ ただし、1996年春には勝ち抜けるとそのチームがある縦一列に得点が加算された。
^ コーナー司会である今田、東野もその槍玉に挙げられる場面も多く見られた。
^ 穴をふさいだり、不正解を書いておいて、相手がその答えを書いたら自分は正解を書くなど。
^ この他ドラえもんのうたなどでコーラスを歌うのを忘れたり、歌う途中で余計なものまねをして歌うのを止めてしまうのもアウトになる。
^ 現タイトルは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』
^ 当時『SHOW by ショーバイ!!』のレギュラー放送における裏番組の司会者だった。
^ 2017年4月2日から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』に改題。
^ 出場時は唯一の関東ローカル番組だった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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