タンザニア、ケニアでは公用語、コンゴ民主共和国では国語に定められている。また、ウガンダは1992年にスワヒリ語を小学校の必修科目に指定し(実態は伴っていない)、2005年には東アフリカ連邦構想を念頭に公用語に指定した。スワヒリ語とその近縁の言語は、コモロのほぼ全域(コモロ語参照)、ブルンジ・ルワンダ・ザンビア北部・マラウイ・モザンビーク・ソマリア南部沿岸地域の一部でも話されている[3]。コモロ語はスワヒリ語の近縁の言語であるが、アラビア語からの借用要素がより多いものである[4]。スワヒリ語話者はかつて北はモガディシュまで広がっており、紅海南部の港市やアラビア半島南岸、ペルシャ湾岸でも通用した[5][6]。しかし、20世紀半ばまでにソマリアにおけるスワヒリ語の範囲はキスマヨ、バラワおよび周辺の海岸沿いと沖合の小島のみへと狭まり、1990年にはスワヒリ語話者を含む多くのバントゥー系が内戦を避けてケニアへ流れた。現在ソマリアに残っているスワヒリ語話者の人口は定かでない。また、アフリカ連合においては英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語と並んで6つの公用語のうちのひとつとなっている。スワヒリ語話者の増大と言語の地位上昇に伴い、世界各国の放送局がスワヒリ語放送を開始している。スワヒリ語圏以外でスワヒリ語放送を行っている、あるいは行っていた放送局は、BBCワールドサービス、ボイス・オブ・アメリカ、ドイチェ・ヴェレ、ロシアの声、中国国際放送、ラジオ・フランス・アンテルナショナル、ラジオ・スーダン、ラジオ・南アフリカなどである。
ガスリーによるバントゥー諸語の分類法では、スワヒリ語はGゾーンに属する。
スワヒリという語は、アラビア語で「海岸に住む人」を意味する「saw?halii ??????」に由来する(saw?haliiは「s?hil ????」(海岸、境界)の複数形「saw?hil ?????」の派生語)。
知られている最も古いスワヒリ語文献は、1711年にキルワ島でアラビア文字で書かれた手紙である。これはキルワ王国のスルターンが、モザンビークのポルトガル人と、地元の同盟国に向けて書いたものである。この手紙は、現在はインドのゴアにある歴史的公文書館に収蔵されている[7]。このほか、知られている最古のスワヒリ語文献の一つには1728年の『Utendi wa Tambuka』(Tambukaの物語)と題するアラビア文字による叙事詩がある。ラテン文字が一般化したのはヨーロッパ諸国による植民地化以後のことである。
スワヒリ語は「メサリ(スワヒリ語版) (methali)」、すなわち言葉遊び・洒落・韻文の形をとる諺・寓話の類が発達している(例:Haraka haraka haina baraka 英訳:Hurry hurry has no blessing)[8]。メサリはスワヒリラップ(Swahili rap, Swah rap)の中にも見ることができ、音楽に文化・歴史・地域的な質感を与えている。