2011年1月18日、イスラエルの警察はスレブレニツァにおいてボスニャク人を虐殺したとして、「ジェノサイド罪」の容疑で2010年8月にボスニア政府から身柄引き渡し要請を受けていた、スルプスカ共和国軍兵士のアレクサンダル・ツヴェトコヴィッチ(Aleksander Cvetkovic)を逮捕した。ボスニア側の引き渡し要請文書によれば、ツヴェトコヴィッチは1995年7月、ブラニェヴォ農場で1000人から1200人のボスニャク人を銃殺した8人の兵士のうちの1人であるとされる。犠牲者はバスに乗せられてブラニェヴォ農場まで移送された。農場に到着すると目隠しをされ、紐で体を縛られた状態で一列に並ばされた後、自動小銃で射殺したという。イスラエル司法省によれば、ツヴェトコヴィッチは2006年にユダヤ人の妻と共にイスラエルに移住し、同国の市民権を付与されていた。[109] 2011年5月26日に、ラトコ・ムラディッチの逮捕がセルビアのボリス・タディッチ大統領により発表された[110]。2011年5月31日、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のあるオランダのハーグに移送された[111]。ムラディッチはセルビア人武装勢力の司令官としてスレブレニツァの虐殺に直接関与した人物とされる。 スルプスカ共和国軍の2人の指揮官ラディスラヴ・クルスティッチ
ラトコ・ムラディッチの逮捕
法的手続き「en:List of Bosnian genocide prosecutions」も参照
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷
スロボダン・ミロシェヴィッチは、スレブレニツァを含むボスニア・ヘルツェゴビナ領内でのジェノサイドの容疑で訴追されたが[113][18]、2006年3月11日にICTYの公判の途中で死亡し、判決を受けることはなかった。
ICTYでは、7人の退役したセルビア人の軍事組織や警察の指揮官が、スレブレニツァでの犯罪の中で発生したジェノサイドや殺人、強制移送などの罪で訴追され、2006年7月14日から公判が始まっている。訴追されたのは、ヴヤディン・ポポヴィッチ(Vujadin Popovi?)、リュビシャ・ベアラ(Ljubi?a Beara)、ドラゴ・ニコリッチ(Drago Nikoli?)、リュボミル・ボロヴチャニン(Ljubomir Borov?anin)、ヴィンコ・パンドゥレヴィッチ(Vinko Pandurevi?)、ラディヴォイェ・ミレティッチ(Radivoje Mileti?)、ミラン・グヴェロ(Milan Gvero)である[114]。