スレブレニツァの虐殺
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

2008年7月21日、セルビアの大統領ボリス・タディッチは、ラドヴァン・カラジッチの逮捕を発表した[103][4][104][105]。カラジッチは紛争当時のスルプスカ共和国の大統領として、スレブレニツァの虐殺を含む紛争中の戦争犯罪を直接指揮した、指導者責任を問われている人物である。カラジッチは7月30日、ハーグのICTYに引き渡された[106][107][108]
アレクサンダル・ツヴェトコヴィッチの逮捕

2011年1月18日イスラエルの警察はスレブレニツァにおいてボスニャク人を虐殺したとして、「ジェノサイド罪」の容疑で2010年8月にボスニア政府から身柄引き渡し要請を受けていた、スルプスカ共和国軍兵士のアレクサンダル・ツヴェトコヴィッチ(Aleksander Cvetkovic)を逮捕した。ボスニア側の引き渡し要請文書によれば、ツヴェトコヴィッチは1995年7月、ブラニェヴォ農場で1000人から1200人のボスニャク人を銃殺した8人の兵士のうちの1人であるとされる。犠牲者はバスに乗せられてブラニェヴォ農場まで移送された。農場に到着すると目隠しをされ、紐で体を縛られた状態で一列に並ばされた後、自動小銃で射殺したという。イスラエル司法省によれば、ツヴェトコヴィッチは2006年にユダヤ人の妻と共にイスラエルに移住し、同国の市民権を付与されていた。[109]
ラトコ・ムラディッチの逮捕

2011年5月26日に、ラトコ・ムラディッチの逮捕がセルビアのボリス・タディッチ大統領により発表された[110]。2011年5月31日、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のあるオランダハーグに移送された[111]。ムラディッチはセルビア人武装勢力の司令官としてスレブレニツァの虐殺に直接関与した人物とされる。
法的手続き「en:List of Bosnian genocide prosecutions」も参照
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷

スルプスカ共和国軍の2人の指揮官ラディスラヴ・クルスティッチ(Radislav Krsti?)およびヴィドイェ・ブラゴイェヴィッチ(Vidoje Blagojevi?)が旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)によってスレブレニツァの虐殺への関与で訴追されている[18]。将軍ラディスラヴ・クルスティッチは、ラトコ・ムラディッチとともにスレブレニツァを襲撃した人物であり、法廷によって、ジェノサイドの幇助と教唆の罪を認定され、35年の懲役を言い渡された。大佐ヴィドイェ・ブラゴイェヴィッチは、人道に対する罪で懲役18年を言い渡された。ICTYの最終的な結論では、スレブレニツァの虐殺は明確にジェノサイドであるとした[112]

スロボダン・ミロシェヴィッチは、スレブレニツァを含むボスニア・ヘルツェゴビナ領内でのジェノサイドの容疑で訴追されたが[113][18]、2006年3月11日にICTYの公判の途中で死亡し、判決を受けることはなかった。

ICTYでは、7人の退役したセルビア人の軍事組織や警察の指揮官が、スレブレニツァでの犯罪の中で発生したジェノサイドや殺人、強制移送などの罪で訴追され、2006年7月14日から公判が始まっている。訴追されたのは、ヴヤディン・ポポヴィッチ(Vujadin Popovi?)、リュビシャ・ベアラ(Ljubi?a Beara)、ドラゴ・ニコリッチ(Drago Nikoli?)、リュボミル・ボロヴチャニン(Ljubomir Borov?anin)、ヴィンコ・パンドゥレヴィッチ(Vinko Pandurevi?)、ラディヴォイェ・ミレティッチ(Radivoje Mileti?)、ミラン・グヴェロ(Milan Gvero)である[114]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:287 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef