スレイヤー
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ヴェノムらと共にニューヨークの「Studio 54」にて出演したライブが取り上げられた。またこの年にはアルバム『SHOW NO MERCY』の売り上げが4万枚を突破、バンドは2枚目のスタジオアルバム製作が可能となった。メタル・ブレイドは製作費用をバンドに与え、収録に際しプロデューサーの「Ron fair」を迎えることができた。同年9月、2ndアルバム『ヘル・アウェイツ - HELL AWAITS - 』を発表。『Hell Awaits』の成功後、バンドはリック・ルービン率いるメジャー・レーベルデフ・ジャムからオファーを受け移籍する。

1986年、3rdアルバム『レイン・イン・ブラッド - REIGN IN BLOOD - 』を発表するが、「歌詞が過激過ぎる」という理由から(ナチスの虐殺者ヨーゼフ・メンゲレについて歌った『エンジェル・オブ・デス』が特に問題視された)、コロムビア・レコードがアメリカ国内の配給を拒否[4]。その後、当時ワーナーグループ傘下だったゲフィン・レコードからの配給が決定。無事発売(しかし議論の結果このレコード会社のリリース表にはこのアルバムの名は記載されていない)され、ラジオでのエアプレイがなかったにもかかわらずビルボード誌のアルバム・チャートで最高50位台を記録する。なお、イギリスでは、WEAが発売を拒否したため、ロンドンレコードから発売された。同年10月、Slayerはワールドツアー「Reign in Pain」をオーヴァーキルやMaliceと共に開始。また、バンド「W.A.S.P.」のツアーにおけるオープニングアクトも決定するが、その後1ヵ月を待たずドラマーのDaveが「家庭生活を優先したい」とし脱退。ツアー継続のため、元「ウィップラッシュ」の「Tony Scaglione」が参加するが、翌年には妻の説得によりDaveが復帰。

1987年コロムビア・レコードの創設者「Rick Rubin(リック・ルービン)」の独断により、バンド「アイアン・バタフライ」の代表曲『In-A-Gadda-Da-Vida』をカヴァーし、映画「Less Than Zero」のサウンドトラックへ提供。バンド側はこれを快く思っておらず、Jeffは「可哀相なSlayerの演出」と捉え、Kerryは「の塊」と語った。ちなみに、この楽曲はSlayerがラジオで流れた最初の曲の1つである。

1988年、4thアルバム『サウス・オブ・ヘヴン - SOUTH OF HEAVEN - 』を発表。構想段階で、前作『Reign in Blood』から一転し、曲のテンポを落とし、メロディアスな歌唱を取り入れると決定。Jeffはこれに関して「『Reign in Blood』を越えることができないのは分かっていた。だから曲のスピードを落としたんだ。リリースしたアルバムが皆『Reign?』と比べられることが分かっていたからね。奇妙なことだった。この前にも後にも、こんなことは無いよ」と語っている。スタイルの変化はファンや評論家から様々な反響があったが、アルバムは当時最も商業的に成功する。ビルボードチャートで初登場57位(200位中)を記録し、2枚目のゴールドディスク授賞作品となった。アルバムに対する評価も様々で、「Allmusic」は「混沌としており力強い」とした一方、Kerryは「最も活気の無いアルバムだ」と評している。同年8月12日ロサンゼルスのハリウッド・パラディウム公演、8月31日ニューヨークのフェルト・フォーラム公演において、プロモーターのチケット販売過多が要因となり観客の暴動が発生。同会場での演奏が禁止される。

1990年に5thアルバム『シーズンズ・イン・ジ・アビス - SEASONS IN THE ABYSS - 』を発表。『クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ』ツアー(第一弾はスレイヤー、メガデス、テスタメントスイサイダル・テンデンシーズの4組による1990年のヨーロッパツアー、第二弾はスレイヤー、メガデス、アンスラックス、アリス・イン・チェインズの4組による1991年全米ツアー)を実施。ビルボード誌の総合チャートで40位内にランクイン。デイヴ・ロンバード(Ds) 2009年

1991年、活動10周年を記念したライヴ・アルバム『ディケイド・オブ・アグレッション - DECADE OF AGGRESSION - 』を発表。
第二期

1992年にデイヴ・ロンバードが脱退。新ドラマーとして元フォビドゥンのポール・ボスタフ(英語版)が加入。1994年、『ディヴァイン・インターヴェンション - DIVINE INTERVENTION - 』を発表。1995年、ビデオ『ライブ・イントゥルージョン - LIVE INTRUSION - 』発表。1996年パンク/ハードコアカバーアルバム『アンディスピューテッド・アティテュード - UNDISPUTED ATTITUDE - 』を発表。
第三期

1996年、ポールが脱退し、新ドラマーとして元テスタメントのジョン・デッティ(ドイツ語版)が加入するも、翌年の1997年、短期間のうちにポールが復帰。
第四期

1998年、7thアルバム『悪魔の鎮魂歌(レクイエム) - DIABOLUS IN MUSICA - 』を発表。
第五期

2001年、オリジナル・ドラマーのデイヴが復帰。8thアルバム『ゴッド・ヘイツ・アス・オール - GOD HATES US ALL - 』を発表。8月には日本のヘヴィロック・フェスティバル「BEAST FEAST 2001」にパンテラとのダブル・ヘッドライナーとして出演。2002年、12月に再びヘッドライナーとして「BEAST FEAST 2002」に出演。2003年、DVD『ウォー・アット・ザ・ウォーフィールド - WAR AT THE WARFIELD - 』 、BOX-SET『サウンドトラック・トゥ・ジ・アポカリプス - SOUNDTRACK TO THE APOCALYPSE - 』発表。2004年、DVD『スティル・レイニング - STILL REIGNING - 』発表。2006年8月、約5年ぶりの9thアルバム、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』をリリース。ビルボード初登場5位を記録した。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 06」への出演、単独公演を行った。オリジナル・ラインナップ - マドリード公演 (2007年)

2007年、『クライスト・イリュージョン - CHRIST ILLUSION - 』のリイシュー盤、DVD『アンホーリー・アライアンス・ツアー:邪悪伝道同盟 - THE UNHOLY ALLIANCE - 』を発表。『CHRIST ILLUSION』に収録された楽曲『Eyes Of The Insane』が、第49回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[5]

2008年、『CHRIST ILLUSION』のリイシュー盤に収録された楽曲『Final Six』が、第50回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門で受賞した[6]

2009年、10thアルバム『血塗ラレタ世界 -WORLD PAINTED BLOOD- 』をリリース。10月には日本のヘヴィメタル・フェスティバル「LOUD PARK 09」への出演と単独公演を行った。晩年期のジェフ・ハンネマン(G) 2010年

2011年、ジェフが右腕を毒蜘蛛に噛まれ、壊死性筋膜炎を発症したため、バンドを離脱。ツアーにはエクソダスで活動するゲイリー・ホルト(英語版)がサポートで参加することとなった。2012年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 12」のヘッドライナーとして来日[7]
第六期

2013年2月、デイヴがツアー不参加を表明[8]5月2日、復帰が待ち望まれていたジェフが肝不全により死去[9]。ゲイリーが正式メンバーとなる。5月30日、2月に脱退したデイヴの後任としてポールが復帰[10]

2015年9月11日、6年ぶりとなる11thアルバム『リペントレス -Repentless- 』をリリース。10月には、「LOUD PARK 15」のヘッドライナーとして来日[11]

2017年、10月にフェスティバル「LOUD PARK 17」のヘッドライナーとして来日[12]
バンドの終焉

2018年、今年から来年にかけて開催するツアーが最後になると宣言し「ファイナル・ワールド・ツアー」を開始[13]。年末、ゲイリー・ホルトが家庭の事情により一時離脱。代役はフィル・デンメル(元マシーン・ヘッド、元ヴァイオレンス)が務めた[14]


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