スリーピー・ホロウ
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ただし、「スリーピー・ホロウの伝説」では、首なし騎士は元はアメリカ独立戦争イギリス軍に参加したヘシアン(ヘッセン大公国出身のドイツ人傭兵)であったという設定になっている[4]。アーヴィングは『スケッチ・ブック』の執筆中に北ヨーロッパへ旅行に向かい、そうした中でスリーピー・ホロウと類似した首なし男の伝説(デュラハン)について取材している[12]

伝説や上記のアーヴィングの作品を基に幾つもの映画が制作されているが、近年では1999年のティム・バートン監督の同名の作品が有名である[8]

「スリーピー・ホローの伝説」は『スケッチ・ブック』全体の語り手 Geoffrey Crayon によって Diedrich Knickerbocker の手紙の中で発見された綺談として物語られるという枠物語の体裁をしている。まず千語程の導入で「眠け窪」という土地そのものについて詳細な説明、その後に一万一千語ほどの主部と見なし得る部分で「眠け窪」に学校教師として赴任したイカボット・クレインが、元々は教養人であったにもかかわらず、当地で再三狂態を演ずる様がユーモラスに語られ、最後に物語の来歴が祖述された五百語に満たない後書きが添えられている[13]コネティカット州出身で博識だが[14]迷信深いクレインは[15]自身が週一度開く讃美歌の教室で出会った当地の有力者たるバルトス・ヴァン・タッセル(Baltus Van Tassel)の娘カトリナに恋をするが[16]、オランダの略語でいうとブロム・ヴァン・ブラントと呼ばれ、そのあたりの地域では英雄であったエイブラハムも彼女に好意を寄せていた[17]。タッセルが開いたパーティにて[18]クレインは「オランダ系の年老いた主婦方」と幽霊話をやり取りし[19]、ブロムは、馬に乗った兵士(の幽霊)に馬での競争を申し出て相手を打ち負かしたと語る。カトリーナに拒絶されヴァン・タッセル家から出たクレインは[15]「眠け窪」では付近に現れると伝承されている頭部を抱えた首なし騎手に遭遇し「眠け窪」から遁走する[20]。その後クレインは弁護士として名を上げるという後日談が伝えられるが「眠け窪」の人々の間では[21]廃屋となった学校に現れる「幽霊」として伝説化され[19]、恋敵であるブロムはカトリナの夫君に無事収まり[20]、首なし騎手がブロムの策略だったことが明かされる[21]
「スリーピー・ホロウの伝説」の文脈
ニューヨークの歴史

オランダ植民地時代からイギリス植民地時代を通じてニューヨークの民族的多様性は顕著で[22]アメリカ独立戦争時にはニューヨーク市に英国軍本部が置かれ、独立戦争の戦闘のうち約1/3が集中し、戦争後市の人口がおよそ半分に減ったというニューヨークには、戦闘にまつわる伝説も必然的に多くなり、戦争時にドイツから傭兵されたヘッセン人兵士など戦争と関わりある幽霊話が好んで交わされていたことが首無し騎士の話の下地となり[23]、また首無し騎士の襲撃に関しては、オランダ植民地からイギリス植民地への移行と重なって植民地で最初の競馬場がニューヨークのロング・アイランドに建設されたのに対し[17]ニューイングランドでは17世紀の清教徒が、競馬を含む賭け事を非合法化したことが、ブロムが乗馬の名手でありイカボッドが未熟な騎手であることに反映されている[24]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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