主な職業の類型として、「日稼人足(日雇い労働者)」「人力車夫」「くずひろい」「芸人」「鋳掛屋」「蝙蝠傘なおし」「露店で商う小商人」などを生業とする人々が住んでいた。 スラムを解体したり、活性化させることで問題を解決しようとする試みは古くから行われてきたが、必ずしも成功を収めていない。文化大革命時に大量に中国大陸から香港に難民が押し寄せた際、不衛生なスラムが至るところに出来、犯罪や暴動が頻発した。当時の英国行政府は膨大な量の高層住宅を建設して住民を収容したり、郊外に新たな居住区を建設し、住民を移住させるといった対策で一定の成果を得た。しかし、他の開発途上国では、失業者対策が行われないなど、スラムの存在する根本的な理由を解決していないことが多いため、プルーイット・アイゴーのように、団地自体がスラム化する場合がある。また、賄賂や横領など対策を取る側に問題があることもある。 ある地域をスラムと呼ぶとき、異なるアイデンティティをもつ外部の人々が自分たちの文化景観の基準から外れた地域に対して、その地域の人々の文化やライフスタイルと関係なく、秩序が無い(ように見える)、建材が現代的で無い、など文化摩擦や誤解から一方的にスラムのレッテルを与えてしまう場合があり、行政によって都市再開発の対象とされてしまうケースもある[7]。例えば、アメリカでは、プエルトリコ人やロシア移民など、特定の民族集団が固まって居住する地域のライフスタイルや空間の使い方が、アングロサクソン系アメリカ人の許容できる水準に達していないとして、スラムと定義した例がある[7]。 スラムを民間部門の自由な社会経済活動の場と捉えて、住民を草の根民活として、肯定的に評価する立場もある。農村にあっても十分な収入を期待できない場合、都市に流入する貧困者が多いが、都市に転居しても、工場労働者や事務員のように正規の雇用機会は得られない。そこで、自らが、露天、靴磨き、廃品回収などの小規模で、元手があまりかからない仕事を創出する。こうして、スラムの未熟練労働者が多数就業する都市インフォーマル部門 当記事ではスラムと、シャンティ・タウンを同義として記述しているが、英語における本来の意味はそれぞれ異なっている[注 1]。
対策と評価
シャンティ・タウン、テント・シティー
シャンティ・タウン
シャンティ[注 2]は、本建築で使われるような建材ではなく、あり合わせの主に廃材などから作られた掘っ立て小屋・あばら家・バラックなどの簡易住居のことで[8]、このような建築物からなる地域がシャンティ・タウンと呼ばれる[9][10]。貧民街やスラムとほぼ同義ではあるが、貧民街やスラムの場合は先進国の大都市の古くなった区画がスラム化し貧民街と呼ばれる場合がある。これらスラムは恒久建築物の区画であり、あばら屋からなるシャンティ・タウンとは異なる[11]。先進国のスラム街には、もともと上下水道や電気ガスなどのインフラは整備されているが、違法建築
テント・シティー(英語版)
仮設の簡易住居という点ではテント・シティーもシャンティ・タウンと似ているが、テント・シティーには自治体や軍・国家などの公的組織により設置される被災者、難民、兵士を収容するための住居群であり、公認の地区である。またテント・シティーには先進国におけるホームレスの人々により設営されるテント群も含まれるが、これらは道路わきや公園などにテントが張られるものであり、これらのテント住民に向けての公的な支援はない。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 英語版ではスラムとシャンティ・タウンはそれぞれ独立記事となっているが、スラムの記述内容は主にシャンティ・タウンについてとなっている。それぞれの記事のノート頁では統合・分離の議論が10年以上続いている。
^ Shantyの語源はフランス語のchantierでその意味は建設現場、作業現場、飯場などの意味と、木こりなどの山中における簡易住居の意味がある。
出典^ 永野征男『都市地理学研究ノート』冨山房インターナショナル 2009 Google Books版 2017年7月14日閲覧。
^ Slum Dwellers to double by 2030:Millennium Development Goal Could Fall Short Archived 2013年3月17日, at the Wayback Machine.
^ ⇒東京の都市下層社会と「細民」住居論『都市と技術』石塚裕道、国連大学出版局・国際書院、1995年
^ 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.119、三一書房、1984年
^ 東京の貧民窟『東京学』石川天崖(育成会, 1909)