スポーツとナショナリズムの間には、すでに19世紀において強い相関が認められ[49]、21世紀においても各種国際大会の勝敗は各国のナショナリズムの高揚をもたらす[50]。1969年には、関係の極度に悪化していたホンジュラスとエルサルバドル間の対立が1970 FIFAワールドカップ・予選の両国対決をきっかけに爆発し、サッカー戦争と呼ばれる戦争へとつながったこともある[51]。国家を形成しない民族においてもこれは同様であり、その民族固有のスポーツを通して民族ナショナリズムの確立を目指すことは広く見られる[52]。
教育詳細は「体育」を参照
多くの文明において、身体を鍛えることは教育の一環として非常に重視されていた。ヨーロッパにおいては、それまで教育においては軽視されていた体育がルネサンス期以降カリキュラムに採り入れられるようになり[53]、19世紀に義務教育が導入されると体育も必修科目となった[53]。日本でも明治政府がこの考え方を取り入れ、1872年の学制発布時に教科の一つとなり、以後学校教科としての体育が定着していった[54]。
科学詳細は「スポーツ科学」を参照
スポーツを対象とした学問分野はスポーツ科学と総称される。スポーツ科学の起源は19世紀末にさかのぼり、当初はより高い身体能力の構築や選手の治療といったスポーツ医学の分野からはじまったが、やがてスポーツ社会学など人文・社会科学分野にも広がりを見せるようになり、また自然科学においても医学以外の分野へ発展していった[55]。1970年代には人類学との関連も始まり、1980年代にはスポーツ人類学が確立した[56]。こうしたスポーツ科学の発展はより競技者の能力を引き出せる質の高いスポーツ用具の開発を促し[57]、また映像技術の活用によってより優れたスポーツ技術が一般化され、記録の更新へとつながっていった[58]。判定にもビデオ判定が導入されることにより、誤審の減少へとつながっている[59]。 スポーツは市民の文化や健康にとって欠かせないものと考えられており、多くの国家でスポーツを振興するためのスポーツ政策が実施されている[60]。プロスポーツの拡大やスポーツ人口の増大は都市におけるスポーツスタジアムの建設を不可欠なものとしたが、こうしたスタジアム建設は都市にとって大規模な再開発や都市基盤整備の契機となる[61]。なかでもオリンピックやサッカーワールドカップのような大規模スポーツイベントが経済・文化的にもたらす影響は大きく、例えば1964年東京オリンピックでは開催に合わせて新幹線など各種インフラが整備され、開催国である日本に大きな変革をもたらした[62]。 スポーツを題材とした作品は数多く存在し、文学、映画、漫画など多くの分野でそれぞれ傑作が生まれている[63]。 美的な事柄についての哲学である美学の領域において、近年スポーツに注目する理論家が増えてきた[64]。例えば、デビッド・ベストは、スポーツと芸術との類似性について書き、倫理との関連性なしにスポーツが純粋に美的なものに近いことを強調した[64]。ベストは、芸術の特徴として、人生に道徳的な考察をもたらす能力を持っていることを挙げる[64]。スポーツにはこのような能力はないが、多くのスポーツの楽しみは間違いなく美的なものであると彼は考えた[64]。 1998年にスロヴェニア共和国のリュブリャナで行われた第14回国際美学会議で発表された、ヴォルフガング・ヴェルシュの論考「スポーツー美学の視点から、さらには藝術として?」は、鋭い洞察力を以て、スポーツが芸術に似ているところを解析し、現代の文化状況に問いを投げかけた[65]。かつて精神を鍛える手段として、倫理の領域に属するものと見倣されていたスポーツは、いまでは、美的/感性的なものとして、芸術の性格を顕著に示すようになり、「今日の the popular art」と呼びうるものになっている、とヴェルシュは考えた[65]。
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